こんなこと


 12分。12分後に間違いなくこのビルに隕石は落ちる。至さんを止めるどころか

自分たちの身まで危ないということを知らされる。今すぐにでも逃げないと……

今すぐ逃げれば俺たちは助かるかもしれない。しかしそうなれば至さんは……

それに暮郎さんもここに残っているかもしれない。

「君たちを巻き添えにしてもよかったんだけど、伯父さんのお願いもあるから

生かしてあげる。早くビルを降りたほうがいいよ」

「く、暮郎さんは……」

 そう言って振り返ろうとした至さんに、俺はもう1つだけ聞いた。至さんは向こうを向いたまま

答えてはくれたが。

「……伯父さんには蓮華の墓の隣に俺の墓を建ててもらう役割があるからね、

ビルから避難してもらったよ。もっとも、その墓に俺の骨が入ることはないと思うけど」

 暮郎さんは無事か……その安堵の隙に、至さんは俺の視界から消えてしまっていた。

廊下を歩く足跡だけが聞こえてくる。三樹男さんはまだ倒れたまま、俺が彼を止めるしかない、

でも……彼があれだけ彼女を思っての行動と知ってしまったら、それを止めるということが

本当にいいことなのか迷ってしまう……彼の信念を崩すことは、俺にはできそうになかった。

……俺には。

「……ちなさいよ」

 その時後ろから沸きあげるような声が。振り向くと、俺の袖をさらに強くつかみ、

下を向いて震えていた藍子が、いきなり顔を上げて叫んだ。

「ちょっと待ちなさいよっ!!」

 耳元で叫ばれてキーンとなり、耳を抑えて驚きながら藍子を見る。怒っているようにも

見えたが、子供に言い聞かせる母親のような表情にも見えた。これだけの音量なら

至さんにも聞こえているはず彼に何を諭そうというのだろうか。

「あなたね、死んで恋人の元へ行こうと思ってるんでしょうけど」

 そんなことしても恋人が喜ぶはずがない、そう続くのがよくある刑事ドラマの終盤だ。

もちろんそれだけで犯人が目を覚ませば話は簡単、むしろあっけないのだが。

「こんなことしちゃったんだから、あなたは地獄に落ちて、天国の恋人には永遠に

会えないでしょうね」

 屁理屈、あるいは子供の喧嘩……止めるというよりも「バカじゃないの?」とでも

言いたげな藍子の挑発。それでも彼女の言葉に彼が動かされるのを願うしかなかった。

「それとも向こうで会えたとしても、人殺しなんか彼女が好きでいてくれるわけないじゃない」

 そこで藍子が一息つく。これだけ大声を続けていたら息が切れて当たり前じゃないか。

深く息をする彼女に俺はゆっくり手を置いた。

「……彼女は、こんなことで俺を嫌いになったりしない」

 廊下の向こうから声がした。遠くて聞こえづらかったが、間違いなく至さんが反応したのだ。

というか藍子の喧嘩言葉を買った、と言った方が正しいか。

「『こんなこと』?人殺しのどこが『こんなこと』の一言で済まされることなのよっ」

至 & 藍子

 息を整える暇なく、藍子が応戦する。

「彼女のためなら何だってする。例え自分が死のうと、他人が死のうと」

「それが根本的に間違ってるって言うのよ。誰かのために人を殺せるとか、自分は死ねるとか」

 藍子の声はいつのまにか柔らかなものになっていた。それは至さんに言っていると同時に、

俺にも語りかけてるような気分になった。藍子の視線は廊下に向けられているが。

「あなたが恋人を大事だと思っていたように、恋人もあなたを大事だと思ってたはずでしょ?

その人があなたが死んでいいなんて思うわけないじゃない……っ」

 彼女が涙をこらえながら叫んでいるということに気づいた。藍子のことだ、至さんの彼女と

自分を重ねて言っているんだろう。そして至さんと俺を。もし自分が不慮の事故なんかで

いなくなったとしても、俺には自暴自棄にならないで欲しい、生きていて欲しいと願って

いるに違いない。藍子を見かけたと知っただけで会いたくてたまらなくなっていた俺にとって

身にしみる言葉でもあった。

「そ、そんなこと、見ず知らずの君なんかに……」

「少なくとも同じ女なんだから、男のあなたよりも気持ちは近いはずよ」

 普段ならそんな簡単なものかと聞き流してしまうような言葉だったが、今の至さんには

動揺を与えるのに十分だった。

「生きようよ?恋人のために。彼女の分まで、生きてあげるのよ……」

「でも……もう何人も殺してしまったのに……」

 至さんの言葉には戸惑いが見え始めている。藍子の言葉が心に訴えているのだ。もう少し……

「死ぬ勇気があるのなら、生きて償う勇気くらいあるでしょ……?」

 涙声にはなっていたが、涙は流さない。


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