朝っぱらからいきなり大声が校庭に響いたので、思わずビクッとして声を方を振り返る。
声の主は荒井田、呼ばれたのはやまふじあいこ……こと山藤だ。車から出てきたところを
いきなり迎えられ、驚きと呆れの表情だ。
「ささ、鞄をお持ちいたしましょう。遠慮なさらずに、ね？」
やけに腰が低くなった荒井田。妙な気もしたが、彼女を「さま」で呼んだということは……
山藤は荒井田を無視して恥ずかしそうに校舎へ歩く。荒井田はてぐすねを作ってうやうやしく
後をついて行くが、体がでかいので全然謙虚に見えない……
「まったく、恥ずかしいったらありゃしない」
そう愚痴りながら、昼食の時間山藤は口にいっぱい料理を詰め込む。これはこれで恥ずかしく
ないのだろうか？
「……にぇえ」
「ちゃんと口の中空にしてから言えよ」
皆まで言い終わる前に、先に忠告しておく。ちょっと不服そうな反応を見せたものの、
素直に食べ物を飲み込んだ。
「……ねえ、さまも嫌なんだけど、本当の名前は『さんとう あいす』で、『あいこ』じゃ
ないんあだからねっ」
芸能界と日常の生活は別。学校では本名で呼ばれたいという彼女だが、名前を漢字で書くと
「山藤藍子」と芸名をそのまま漢字にしたみたいで、芸名＝本名と思ってる人が多いのも、
「さんとう あいす」と呼ばれない原因なのではなかろうか。
「いっそのこと芸名変えようかな、なんて考えたりするけど、今更な感じだし」
「売れない芸人がコンビ名を改名するくらいだよな」
ちなみに言っておくが、「やまふじあいこ」は売れているらしい。俺は芸能にあまり興味は
ないし、この学校で初めて山藤が来た時の騒ぎも今は慣れたのか落ち着いている。というか
一番騒いでるのは荒井田で、奴が他のファンを近寄らせていないという感じかも。俺の場合は……
山藤のほうから寄ってくるからなぁ。ファンというわけでもないし。
「それに、しばらくは『あいこ』って名前変えられない状況になっちゃったしね」
「……ああ」
皇太子殿下の長女がお生まれになって、名前が「愛子」だとか……なんか今風すぎる名前
だなぁと思ったが。古風よりはマシなのか？とにかく、今「あいこ」の芸名を変えるのは
愛子様と同じ名前が嫌と思ってるととらわれかねないだろうな。
「この前の芸能ニュース見た？愛子様の名前が決まった時に、同じ名前の芸能人たちにお喜びの
メッセージを求められたの」
「……それは知らないな」
あまりにも天皇関係のニュースばっかでうんざりしてて、ゲーセンに行ってたからだろうな……
「当然私も『同じ名前で光栄です』って言わざるを得なかったんだけど、単なる芸名なんだし、
本名にしても『愛』じゃなくて『藍』なんだから」
山藤は自分の名前の「藍」という字が好きらしい。親からもらった名前を好きになれるってのは
うらやましいと思うのは、俺だけなのだろうか……
「それに、皇族に生まれるのってあんまりうらやましくないわね。だって生まれつきチヤホヤ
されるのよ？小さい頃から彼みたいなのがうじゃうじゃとね」
彼……荒井田のことか(苦笑)まあああいう下心持ちばっかじゃないとしても、大勢の人に
囲まれるのは嫌な性格かもしれないし、そのうち嫌になるかもしれない。その点は……俺にも
わかるなぁ……
「でも山藤だって、人気者になりたくて……なったんだろ？」
芸能界、ってここで言わない方がいいかなとか思ったが、すでにそういう話になってきてるので
今更問題もないか。
「私はただお芝居がしたかっただけ。というより、いろんな人とお芝居がしたかったんだけどね」
彼女は小学生くらいのころからＴＶに出てた(らしい)ので名子役としてもてはやされる……
とかく子供をまつりあげるんだよな、芸能ニュースってのは。悪くはないけど、本人の意思に
関係なく取材されちゃったり。
「でも小さい頃からの芸名だし、こっちのも愛着があるからなぁ……」
そりゃ自分で考えた……いや、命名診断してもらったとか言ってたっけ？それでも自分で選んだ
名前なんだから、好きなのを選んだんだろう。芸名の方が地味っぽいが、それこそ普通の女の子な
憧れをもってのことかもしれない。
「やっぱり変えない。ちゃんと本名で呼んでくれる人もいることだし」
そう言って俺に微笑み返す。俺のことか？だってみてる限りでは、芸能人に見えないし……
「俺は本名で呼ばれてないけどな」
「ええー、『てっちゃん』って嫌なの〜？」
「なんか……『〜ちゃん』って感じでもないだろ」
「あは、無愛想だもんね」
そんなに無愛想か？針井と並べてみればそんな事はないと思うが……それは「相対的に」だな。
「じゃあ『テツ』って呼ぶから、私も『あいす』って呼んでね」
「おいおい、ちゃんと『さんとう』って呼んでるじゃ……」
「一人名前で呼んで、一人苗字で呼ぶのは不自然でしょ？」
なら「タイト」って呼びゃあ……まあいいか。しばらくあいこあいこって呼ばれっぱなし
だったんだもんな。
「じゃ……あいす、そろそろ食い終わるか」
「は〜い♪」