野球


 野球は日本で人気のスポーツの一つだ。いつの年代も、人気の打者や投手が

いるものである。

 テレビ中継を観ていると、たまに打者の今日の成績が、ほとんど漢字で表される。

違うのはゴロくらいだろうか。フライは飛、ライナーは直など。

 ショートストップは「遊撃手」。遊の字はあちこち動き回るという意味であり、

決して暇で遊んでいるのではない。内野では一番激しい運動量を必要とするだろう。

 邪飛。ファールフライのことで、フェアグランドに飛ばない無駄なフライの

意味で「邪」なのであろうか。

 野選。フィルダースチョイス。例えばランナー1塁でバッターが送りバントをしたとき、

ボールを2塁へ投げたためセーフになり、1塁もセーフになったときなど、

一人はアウトにできるタイミングだったのに別のところへ投げて全員セーフになったときに

野選がつく。エラーではないらしい。

 野球はファールが反則でないのが面白い。サッカーなど他のスポーツはファールは

反則なのだが、野球なら3バント失敗でないかぎりファールを出し続けられる。

そしてそんなバッターに限って、十数球目に本塁打を打ったりするものだ。

 

 あんまりスポーツしないんでよくわからん説明かも……


絆創膏


 子供のころ、よく転んだりすりむいたりして、ばんそうこうのお世話に

なった人も多いだろう。

 このばんそうこう、果たして傷が完治するまで貼ったままでよいのだろうか。

 確かにこれ以上黴菌(ばいきん。前の字はカビ)が入り込むことは無い。

しかし、あまりに空気の出入りがないと傷口が化膿して直りが遅くなるのではないか。

 ばんそうこうをしたまま風呂やプールに入るのはよくない。必ず水から感染

してしまうだろう。そして、ばんそうこうは臭くなって結局捨てることになる。

 傷は治りかけになると血行がよくなり痒くなる。もちろんそこで掻くと傷を

広げることになってしまうが、そのあたりでばんそうこうを外してもよいのでは、

ないだろうか。やはり自然のままが一番だし、あまり長いこと貼ったままだと

粘着面が指にこびりついてさらに埃がついて灰色の二本線が入ったり、

そこだけ黄色になってしまうだろう。

 子供のころはよく怪我をするのに、ばんそうこうを用意していないことが多い。

成長して、準備に頭がまわるころには、慎重になっており、怪我することも少ない。

そうかと思えば、ばんそうこうでは間に合わない大怪我をするだろう。

 

 というわけで机の前にはばんそうこうの箱が……いつ開けたんだ?


四次元


 次元の定義は「n−1次元で区切れるものをn次元とする」という。 そして、次元数に等しい座標軸が存在する。

 数学のグラフ上でいう「点」は、座標軸を持たない。つまり0次元である。

直線は座標軸がそれ自体の一つなので、1次元である。直線は点で区切られるため、

定義は正しい。同様に、縦横2軸あり、直線で区切ることが出来る平面は2次元、

さらに高さの軸が加わり、平面で分けられる空間は3次元である。

 さて、4次元とはどういうものであろうか。同じ考えでゆくと4次元は3次元、

つまり空間で区切ることができるという。もし今、我々の世界を空間で区切ると

どうなるか。その時点より前が「過去」、その後が「未来」となり、2つに分けられる。

つまり4つめの軸は時間軸であり、我々の住む世界は4次元空間であると言える。

 こうしてみると、「四次元空間とはどのように見える世界なんだろう」と

考えているのが滑稽である。すでにそこにいるのだから。それを言うなら

「五次元世界は〜」だろう。

 我々は2つの眼により空間を、記憶により時間を見ている。もし五次元以上の

座標軸が存在しうるとしても、人間には見えないのであろうか。それとも

幽霊などがその軸を移動できるとでもいうのだろうか。

 

 四次元ポケットは時間軸以外の次元なんだろうか?


いち数学教師


 高校時代、GTOがいた。これは、イニシャルが同じというだけであって、

性格は全然違う。しかし、すばらしい教師だと思う。

 その教師は、著者の3年通しての担任であった。でも嫌にはならず、むしろ

担任でうれしかった。

 まず顔が、XーFILEのモルダーに似ている。さらに、詩人の中原中也にも

似ていることが判った。二人を足して割った感じの顔である。

 日直はその日の所感を書くことになっている。その感想を律儀に書いてくれるのだが、

「ホー」「それはよかった」「気合じゃ」など、拍子抜けに短いものばかりなのが笑える。

「気合じゃ」などは本人は気合を入れているようには見えないのに。

 朝の連絡などで、たまに変な連絡があって、読んだ後に生徒が笑うと、

「だってそう書いとんのに」と言い訳するのがまた可笑しい。

 そして怒ったのを見たことがない。まさに仏である。

 それでいて、数学の授業もすばらしい(著者が数学好きというのもあるが)。

また、進路のことも熱心に考えてくれた。まさに教師のかがみであろう。

 よい担任のクラスはみんなが生き生きして見える。彼のような教師が皆の前に

現れることを願う。

 

 学祭の準備のとき息子(4,5歳)を連れてきた子煩悩(はぁと)


咳をしても一人


 俳句というものは、季語があり、五七五の文字数が当然とされていた。

しかし、定型にとらわれない俳句を作る動きが見られ、その中で作られたのが

題の「俳句」である。俳句としては一番短いものであろう。音数が、三三三である。

一応音のリズムに合わせて読むようだ。さらに「咳」が冬の季語だという。

自由律俳句ながらも、本来の俳句らしいところも残っている。

 短いといえば、著者が小学生時代の国語の教科書に、「土」という詩が載っていた。

 
   ありが

   ちょうの羽を引いていく

   ああ ヨットのようだ

 
 これだけの言葉で、読者に何を与えられるのだろう。

たしかそのとき、土を大海原に見立てていると教えられた。しかし今見てみれば、

作者本人が「ヨットのようだ」と漏らしている所が滑稽だ。最後の一行も

他の比喩に使ってもよいと思うのだが。

 いずれにしても、長い詩で訴えるもよし、短い詩で気づかせるのもよし、

ただ、長いものは、本当に理解してほしいものが多く、短いものは作品の

技術的要素を見てほしいがため作られているような気がするのだが。

 

 五七五だから俳句だと思うんだけどなぁ僕は


小指


 いきなりではあるが、ヤクザはなぜ小指を切ろうとするのだろうか。

罰を与えるとしても、一番使わないような、なくても支障ない指に

してくれているのではないか、と思ってはならない。

 この謎を解決したのが、他ならぬ著者の祖母であった。

 数十年前彼女はこの疑問を持ち、試しに小指を使わずに物をつかんでみた。

水が入ったバケツなど、重いものを持ち上げようとすると、思った風に力が入らない。

しかし、頼りなさそうな小指も合わせて持ち上げると、持ちやすい。

 実験から、小指は手の力を支えるのに必要な指ということがわかった。

 ということは、女性がよく小指を立てるのは、自分のか弱さをアピール

しているということだろうか。また、指切りも小指でする。約束が破られないように

力の強い指でするからなのか。

 さて、読者は小指だけを曲げることは出来るだろうか。大体が薬指や中指も

つられて曲がることだろう。小指だけを曲げる筋肉は発達していないと思われる。

やはり小指は他の指に従属しているかのように見えるのだ。しかし、小指を

鍛えることが出来れば、握力なども数段上昇するのではないだろうか

 

 あとビーマニの腕もね☆


閏年


 今年は2000年、366日ある閏年である。シドニーオリンピックが

開催される年である。

 オリンピックはご存知の通り、1896年から4年ごとに行われているスポーツの

祭典である。それはだいたい閏年に行われる。

 さて「だいたい」と書いたが、実は1900年は閏年ではない。閏年は必ずしも

4年に一度訪れるものではない。

 そもそも閏年は、地球の公転周期が、365日よりも約6時間長いので、それを

補うため閏年が設けられた。だが、そのままでは今度は余ってしまうのだ。

そこで、100年に一度は閏年ではない年にしている。だから1900年は閏年ではなかった。

 しかし、その考えでいくと2000年は閏年ではなくなる。しかし実際は閏年だ。

100年に一度閏年を省くと、さらに今度は足りなくなる。よって、400年に一度はまた

閏年にすることとなっている。2000年は400で割り切れるので、閏年である。

 このHPのトップのカレンダーは、その計算もされている。しかし、我々が

生きているうちに、例外の2100年、閏年でない年がやってくることはまずないので、

4年に一回が定着しているのである。

 

 数年前「閏秒」てのがあったね。1日だけ、1秒長いの。

そこまでするか、グレゴリオ暦。


竹探(一)


 bmsのBGAのキャラクターたち。著者のオリジナルキャラクターである。

ご覧の通り、著者は漫画を描くのが好きである。キャラたちが活躍する

冒険の物語も描いたことがある。

 初めての長編は、小学五年の終わりから小学卒業まで。そのころ、RPGゲーム

ドラゴンクエストに没頭していたこともあり、世界観もドラクエを基本としていた。

 タイトルは安直な「タケチャンクエスト」。今更ながら恥ずかしい。

主人公と少数のキャラは一から考えたものだったが、多くのキャラは

ドラクエのキャラをモチーフにしている。名前まで拝借していたりする。

 その後、名前は変わったものの、見た目に名残があるキャラも残っている。

例えばペザロは、DQIIIの勇者(FC版)、髪型が同じである。

 そのときの作品は、全て保管している。その後、リニューアルした漫画の

参考にもしたからだ。他人に見せられるような代物ではないが、財産として

考えてもいいくらい著者には大切なものである。昔の稚拙な絵を見て、その点を

どのように改良すればよいか、などと考えられるからだ。

 今後、この「タケチャンクエスト(タケクエ)」をより詳しく紹介したいと思う。

 

 ↑まあ、他のネタがなかったらってことで(ぉ


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