少数民族観光


 文化人類学の講義で、かなり憤りを感じたのでここに記す。

 インドネシアのバリ島。今や有名だが、それは原住民の特異な文化にあると

言われている。たとえば、人が死ぬことは、魂の開放とされ、葬式はまるで

祭りのように賑やかなものとなる。遺体をみこしにのせて道を行く。

 また、不思議な踊りもある。一つ一つの動きに意味があり、子供のころから

教わる、神聖なものだが、もはや見せ物の一つになってしまった。

 特異な文化とは何だろうか。自分たちの文化と違うだけで言っているのではないか。

日本も、ゲイシャ・サムライなど特異なものだと、思われていただろう。

生活が違うからこそ、文化といえるのではないだろうか。

 バリ等の例では、文化における出来事が観光されているので、まだ理解できる。

問題は、普通の生活の時点で見せ物にされることである。

 東アジアのある島の住民は、(語弊はあるが)原始のままのような住居や、衣服

(いわゆる褌。もちろん現代の服も着る)を来ているため、雑誌に写真を載せられた。

それからというもの、住民はお金を取って写真を撮らせている。

 お金を取るのもおかしいが、観光客が住民を同じ人間と思っていないような気がした。

 

 ビデオ観たんだけどな、住民の険しい顔が恐くて観てられなかったヨ……


麦酒


 ビールと言えばドイツ。ドイツと言えばビール。

10月の第一日曜日まで16日間開かれる「オクトーバーフェスト」では、

世界中からやってきた人々にドイツ中のビールが飲まれる。1杯頼むと、

1リットルのジョッキが出てくるという。ドイツ語教師の話だ。

 ビール瓶、633mlというのはご存知だろうか。ある説では、

小学6年、中学3年、高校3年、過ぎてから飲め、ということだが、

それでもあと2年待たなければならない。

 日本でビールと言えば、札幌。高校の修学旅行で札幌に行ったが、

あまりビールに興味がなかったので工場は見学しなかった。

 実は著者はビールを飲みたいとは思っていないし、大人になってもほとんど

飲むことはないだろう。大学の学科の食事会で、自己紹介の時にビールを

一気飲みを勧められてする人が多かったが(こんなことを書いていいのだろうか……

一気飲み強要は犯罪だし、そもそも大半が未成年である)、著者は一滴も口に

しなかった。嫌いというよりも、もしはまってしまったら、というのもあるのだろう。

 著者の父は、酒好きである。適度な酒は良いかも知れないが、今まで酒に

どのくらいの金額を消費し、腹の脂肪を蓄積したのだろうか……

 

 父はこのHPを見てて、日記とか見て生活面でいろいろ小言をいうので

ここでささやかな仕返しということで。


国勢調査


 国勢調査は、1920年(大正9年)から始まり、5年ごとに行われている。今回で

17回目だ。これにより、年齢別、男女別で示される「人口ピラミッド」が作られる。

また、就職人口もわかるだろう。

 先日、著者の住むマンションに国勢調査員がやって来、調査票を渡された。

週末実家に帰省している著者はその旨を伝えると、どうやら国勢調査は

戸籍には関係ないらしい。長く居る方で書いてくれといわれた。

 さっそく欄をみると、姓名、性別、生年月日など、よくあるものだった。

収入元の欄を見ると(著者はバイトもしていないため)戸惑ったが、ちゃんと

「仕送り」の項目があるので笑えた。未婚・既婚の欄も笑えた。

 社会の時間にかすかに学んだ記憶はあるが、まさか自身が書くことになるとは

思わなかった。それにしても、1件1件回るのは、調査員も疲れることだろう。

著者を訪ねた調査員は、著者が調査票を書き終わるまで外で待っていた。(それほど

時間はかけなかったが)同じ階の住民は留守であった。彼は次の日もマンションへ

来なければならないのだろうか……

 追記として、調査票は統計が終わると、再生紙になるらしい。

 

 「こくぜい」じゃなくて「こくせい」だってさ


時差


 地球が球体であるということは、今や一般常識だろう。

球体であるがゆえ、同時にまんべんなく日光が当ることはない。

昼の裏は夜、境界は朝方か夕方である。

 このため、国々において別々の時間を調整しなければならない。

すると、別の国に行ったときに時差が生じる。

 さて、日本のような小さな国なら、標準時間が1つで済む。しかしロシアや

アメリカなど東西に長い国は、国内で時差が生じる。その境に住む人々は

さぞ暮らしにくいのではないだろうか。チリなどがうらやましいだろう。

 かといって中国のように、国は大きくても標準時間1つ(厳密には2つ)にすると、

東西の端で日の出の時間が何時間も違うことになる。朝9時に日の出など

あるのだろうか(ちなみに白夜・極夜は考えない)

 シドニーは、日本との時差は−1時間、つまり日の出が1時間だけ早い。

このくらいならば、日本人が起きている間に競技が行われるので、中継が観られる。

 時差に伴い、日付変更線も存在するが、さすがに国の上に引くわけにはいかないので

曲がっている。そのせいで、2000年元日はどこが始めに来るか論争を引き起こした。

また2001年も同様なのだろうか……

 

 なんで15分ずれとかあるの……細かッ


秋分


 今日は昼と夜の時間の長さが等しい日、秋分の日である。

 著者の家の近所の寺(四国八十八の寺の一つ)では、出店が並んでいる。

今日は仏を祭る彼岸でもある。またこの日、もち米、あんこ、きなこで作られる

おはぎを食べる。

 秋分の日は、春の彼岸である春分の日とほとんど同じである。ただ違うのは、

春分の日ではおはぎのことをぼたもちと言うことだ。しかしこれが面白い。

春は牡丹、秋は萩が咲くから、名前が変わるのだろうが、夏や冬には何と呼ぶのだろう。

 「棚から牡丹餅」という諺があるが、一般的にはぼたもちなのだろうか。

それとも、きなこでくるまれたものを「おはぎ」、あんこで包まれたものを「ぼたもち」と

するのはどうだろうか。

 また、春分の日は3月の20日や21日、年によってずれたりもするが、秋分の日は

毎年9月23日である。これは1年が365日で奇数のため、1年ごとに調整するためだと

考えたが、春分→秋分は186(7)日、どちらにしろ昼間が長い日のほうが半年より多い。

これもおかしなことである。と言っても、春(秋)分の日に本当に昼と夜の時間の長さが

等しいとは限らないのではあるのだが。

 

 まぁなぜか祝日てのは嬉しい限りだけどね


審判


 昨日五輪の男子柔道100kg超級決勝、審判の判定で誤りがあると言われているらしい。

日本の選手が、相手の仕掛けた技に対して「返し技」を決めたが、二人の審判はそれを

知らなかったのだろうか、相手にポイントを与えたと言う。試合が終わってしまえば、

結果を覆すことは出来ない。

 スポーツにはルールがあり、それを判定する公平な立場として審判は不可欠である。

しかし最近ミスジャッジが増えているような気がする。

 特に野球。まだ投球判定は球審しかわからないことだろうが、外野に飛んだ打球を

地面ギリギリでとっとか取らないかで抗議がよくある。その時点ですぐ判定しなければ

ならないことなので間違うこともあるだろうが、問題は、間違っていてもそれを訂正

しないことである。

 ビデオ再生すればよくわかる。審判もそれを見れば考えを変えるかもしれないが、見ない。

確かに誤審で助かった側で、誤審と思ってなければ、元に戻されたらそちらも抗議するだろう。

そうなればいつまでたっても決着がつかない。

 まだ相撲がよい。判定がついても物言いがつき、同体や差し違えに変えることができるからだ。

しかし審判ではなく行司だが。

 

 審判は皆頑固に見えるのは偏見であろうか……


歌留多


 カルタは、オランダで生まれ、日本では正月によく遊ばれるらしい。

今となっては実際に正月にカルタ遊びをする人は少ないだろうが。

 カルタで代表的ないろはカルタは、諺を並詠み句として並べたもので、

漫画では必ずと言っていいほど「い」は「犬も歩けば棒に当たる」であろう。

しかし地方によって諺も違い、「一を聞いて十を知る」「一寸先は闇」など、

いろいろなパターンがある。

 またこのいろはカルタ、現在のカルタにはない文字「ゐ」「ゑ」「を」「京」がある。

「京」は変わってはいるが、詠み句の頭に京がつくので「き」とは間違えにくい。

問題は残りの三つで、これは詠まれる内容と絵を比べて判断しなければならない。

 著者が小さいころのある漫画のカルタは、「を」が入っていた、しかも詠み句が、

「お願いを〜」で始まるため、よく混乱したのを覚えている。

 しかし、その方が面白いのではないだろうか。というのも絵札に頭文字が書かれて

いるため、詠み句の一文字を詠んだだけで札が取れてしまうのだ。詠み手が飽きて、

一文字しか詠まなかったことを覚えている。

 

 片付けきちんとできてないと詠み句詠んだとき誰も取れないのな。絵札無いから


竹探(二)


 「タケチャンクエスト(タケクエ)」については、第39段を参照にしてほしい。

 さて画力についてだが、本当に自分の世界に入って描いていたため、

B5のノートに15コマという小さいものになっている。しかも頭身が低いと言うか、

児童によくある「全身を描く」という癖もあり、人物は非常に小さく、

2・3頭身がほとんど。それ以前に下手だが。

 ページ構成は、題名に1ページも使っている。上部にロゴ、右側に話数と題名。

残りが絵である。今考えれば毎回手書きでロゴを書いていたというのは何と手間の

かかったことだったろう。しかし、後半においてロゴは簡略化されてしまっていた。

 1話のページ数は、2ページ。つまり見開きだけである。場合によっては1ページで

終わっている話もあった。1話30(15)コマである。すぐ終わりそうに思えるが、

これが20話で一区切り、そして3章あり60話となっている。

 元ネタとなったドラクエの、「4コママンガ劇場」というものがある。それにあやかって

「タケチャンクエストマンガ劇場」と題し、3話をひとまとめにして16ページの

冊子にしている。しかしそのうち白紙が3ページもある。全話で300ページほど

だったように思われる。白紙も含めてだが。

 次回は登場人物について語ろうと思う。

 

 顔みんな一緒やん……さすが小学生(ぉ


Back Home