金字塔


 大記録を打ち立ててたときに「金字塔」という言葉が使われるが、この意味は、

「金」の字の形をした建物、ピラミッドのことである。もしかしたら黄金色の意味も

含んでいるかもしれない。それにしても、ピラミッドは王家の墓である。素晴らしいことを

したのに墓を持ち出されるのはあまり気持ちがいいものではないのだが。

 ピラミッドの石をどうやって運んだり積んだりしたのかとよく考えられたものだが、

著者はそれ以前に大量の岩をどこから、どうやって切り出したのだろうと思う。

「どうやって」については、積み方と同様専門家によって解明されているだろうが

(前に聞いたかもしれないが失念)、砂漠の国に大きな岩山があったのだろうか。

そこまでして古代の王は権力を誇示したかったのだろうか。日本でも古墳があるが、

掘り下げて作ったものなので比較的作りやすいと思われるのだが。

 ピラミッドや古墳などの以上に大きな物でなくとも、人間は自分が入る墓は豪勢に

したがる傾向がある。それも年を取って寿命が迫っていると思っているあたりからで

(事故などでは予測つかないから若いうちに建てる人は少ない)、いくつになっても

見栄を張りたがる人はそうなのだろうか。

 

 だからといって自分が年取ったときのことはわからんがね(ぉ


中世


 ファンタジーRPGの舞台は中世ヨーロッパをモデルにしたものが多い。たまに、

「中世の暮らしをしてみたい」と思うときもあるのだが、先日大学の講義を聞き、

それが一気に冷めてしまった。

 中世は下水処理がほとんど出来ていなかったので、排泄物は家の前に放り捨てたそうだ。

そして雨が降るとそれが街中に流れ出す。街はとんでもない臭いだっただろう。そんな

だから、ペストなどの伝染病が流行ったのだそうだ。ちなみに日本はというと、畑の

肥やしとして使っていたため、たいしたことにはならなかったという。

 上水道もよろしくない。風呂などほとんど入れない。中世ではファッションとして

「かつら」をつける人が多かったらしいが、果たしてファッションだけだったのだろうか。

 当然のことながら現代より中世の方が暮らしが良いわけではなく、逆にどれだけ

現代の生活がよくなったかが思い知らされた。だが今でも改善すべき点がいくつか見られる。

数百年後、今を振り返って、現代の暮らしが「劣悪な環境」だと呼ばれるのだろうか。

著者はその可能性はかなり低いものと思っている。少なくとも現代に溢れるごみの処理の

改善などが進まなければ。

 

 ごみの前に自分の部屋を片付けなければ(苦笑)


既視感


 ふと、「この場面を見たことがある」という感覚に襲われたりしないだろうか。

これを既視感(デジャヴ)と呼ぶが、一般的には、疲れている時にそう感じる現象だと

思われている。だがそう感じた本人にとっては、それだけでは納得がいかない。

 著者もよく既視感になる。著者の場合は、その場面を夢の中で見たことがあるように

感じる。だが夢の中だから記憶が曖昧になっているので、確証は持てない。もしそれが

よくあるようなことだったら、似たようなものを見たことがあるだけに過ぎないが、

初めて見るものだとしたら、もしや正夢を見たのではと思ってしまう。しかしもし

正夢だとしても、それまで覚えていなければ意味が無い。実際のところ、既視感に

なった本人ですら、それを疑ってしまっている。

 中学生の頃、塾の数学の先生が授業を始めたが、前回までに習った授業のような気がして

先生にそう告げた。しかし先生や他の生徒たちは覚えていないという。先生に、疲れていて

デジャヴを見ているのだろうと言われたが、ノートを見てみると実際に履修していた。

著者以外はすっかり忘れていたのである。もしかすると他のデジャヴも、自分だけが

覚えていることだとしたら、ぞっとすることだろう。

 

 笹を書いていてデジャヴが!……本当に同じことを書いてたり(笑)


疑問符


 英語やドイツ語などの疑問文の終わりには、必ず疑問符"?"がもちいられる。

この字は、アルファベットと同様に用いられるためか、日本では英字として扱われる。

 日本では「ハテナマーク」とも呼ばれるが、実際は「はて、な」とひとつの単語ではなく、

あやしく思ったときや考え込むときに出す声のことである。

 英語の教科書で、和訳が書いているとき、例えば"What are you doing?"に対して、

「あなたは何をしているのですか。/(口語)何をしてるの。」と、最後は句点「。」で終わって

いる。だが英語の句点はピリオド"."であるが、「。」="."ではない。日本語にも"?"に

相当する記号があってもよいのだが。それでも「(口語)彼は自転車を買ったんだって。」では

"I heard that he bought a bicycle."「私は、彼が自転車を買ったことを聞きました。」か

"Did he buy a bicycle?"「彼は自転車を買ったのですか。」かはわからない。

口語で訳される場合は、日本語でも「?」が使われるようだ。おかしいことである。

 ちなみに感嘆符"!"は、大声をあげたときや驚いたときに使うように思われるが、

英語では感動したときに、ドイツ語では命令するときに使われるようだ。大学のある

ドイツ語講師は、"!"のことを「オッタマゲーションマーク」と呼ぶ。

 

 「びっくり→たまげる→おったまげ」……

つーかたまげるって「魂消る」って書くのか(意味なし)


主人公


 ある友人と、「ドラえもん」の主人公はドラえもんかのび太かで議論となった。

ドラえもんがいないと物語が成り立たないと主張する友人に対して、物語はのび太

中心に進んでいると反論。長いか短いかの時間の末、のび太が主人公、ドラえもんは

主役ということに落ち着いた。主人公は、物語全てを通しての中心人物であり、

それに対して主役は、物語の一部分の中心人物と考えた。

 なにかの宣伝文句で、「あなた自身が主人公です」などというものがあるが、

上の例で考えると、主役ではない→各場面では中心人物ではないということだ。

もちろん、主人公が主役になることもあるが。それに、皆に「あなた自身が……」と

言うと、全員が主人公になってしまう。流石にそれは変な話だ。

 昔のRPGゲームでは、主人公=勇者である場合が多かった。そのゲームの4コマ

漫画が出たとき、連載でないため勝手な名前が付けられないから、その主人公を

勇者と呼んでいたが、違和感は無かった。だが、主人公が勇者でない作品の場合、

主人公と呼ぶのはおかしなことだが、実際に呼ばせていた4コマもあり、著者は

にやりとしたこともある。

 

 「主な人物」なのだが「公」が気になる……意味があってもなくても


酷似


 一生懸命考えた作品が、他の人の作品と酷似して、盗作だとか思われたりしたことが

ないだろうか。何かの作品を参考にしたが、あまりにもそれに似すぎてしまったなら、

盗作といわれても仕方ないが、同じ時期に出た二つの作品が酷似していて、どちらかが

盗作だと決め付けるのはまだ早い。その時期の主な出来事を参考にしていたり、ただ単に

同じ考えを持っていたり。かぶっているだけかも知れない

 著者が作ったキャラクターで、よくかぶるものがある。かなり有名なキャラだったとしても、

著者が知らなければ参考にしたわけではない。それでも酷似しているとすれば、もしかしたら

一度はそのキャラを見ていたのかもしれない。人気のキャラは一目見ただけで印象に残る

ものだから、あとでキャラを考えるときにふと思い浮かんでくるのかもしれない。

 逆に、先にこちらが考えていたが、後で公の作品でかぶるキャラが出てくる場合もある。

このときは「やられた」などと思うが、その一方で「自分の方が先にいいものを考えていた」と

内心嬉しく思う。もちろん誰にも話していなければ意味が無いが。

 ネット上で、著者のキャラに酷似したキャラがいれば、考えたのが先か後かはどうあれ、

そのキャラを考えた人を、同じ考えを持つ人だから親しく感じられるだろう。

 

 ↑そういうキャラいたら情報求ム。いやマジで


忘却の彼方


 さすがにネタが少なくなってくると、ちょっとしたことでもここに書こうとする。

それで「このネタで書こう」と思っていたのだが、いざ書こうとすると、何について

書くのだったかすっかり忘れてしまっている。ネタを1つ失ったのはこの時期になって

かなり痛い。それでもしばらくすると思い出し、今度こそはと思うのだが、そのときも

また忘れてしまう。著者は特別忘れやすい脳なのだろうか。

 何かキーワードをメモしておけば忘れても心配ないが、それだけのためにメモ帳を

作るわけにもいかないし、別の紙に書いていれば、今度はその紙の行方がわからなく

なったりする。

 カレンダーには、「三隣亡」という日が書かれていることがあり、その日は三つの

ことを忘れたり、悪いことがあったりする日らしい。その日に二つ悪いことがあったら、

わざと失敗して、三つ目を大したことの無いものにしておくらしいのだが、「忘れる」

という行動は自主的に出来るものではない。もっとも、三隣亡でなくとも忘れるときは

とんでもないものを忘れたりする。学校に行くのに鞄を忘れていたり。今回このネタを

書いたのも、他のネタを忘れたからである。

 

 ↑もうこの手は使えんな……やっぱちゃんとメモっとくか


超能力(一)


 今まで紹介した「タケチャンクエスト」は、小学生のうちに完結したが、

中学生になって、その話を書き直したくなった。今度は人に見せても恥ずかしくない

ものを。タイトルも"Super Ability(超能力)"というものに変えた。

 前作では、主人公の父親が魔王に立ち向かった経緯が描かれてなかったので、

その父親が五人の仲間を連れて魔王に闘いを挑むわけだが、その父親のデザインが、

前作より退化しているのに笑える。前作のユーザーにひげを生やしただけだ。

魔王との闘いも前作の展開と変わらず、魔王の一方的な強さに仲間は次々と倒れていくが、

一人の攻撃で形成が逆転する。そしてお約束で魔王は巨大な竜に変身。竜が歩いた振動で

床に穴があき、父親はそこへ落ちてしまう。これは実は生きていた、という伏線だったのだが。

妖精の王子は命乞い、占い師は逃げ出し、父が死んだことをユーザーに伝えにいく。

この辺はいろいろ考えていたのかもしれない。だがどれだけ考えても、魔王に敗れた

一話しか描いていない。やはり1ページ15マス、6ページであった。確かに続きを

描こうとしていたようだが、それはそれ、著者の飽き性である。だが、再び描きたいと

思ったりし、そのときはこれの続きを描こうとはしなかったという……

 

 そんなものも残してる僕って……物持ちいーい(違)


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