落書き


 最近都会では落書きの被害が増えているらしい。徳島市内でも似たようなものは

いくつか見かけるのだが、書いている本人は芸術と思い込んでいるのであろう。

だがもしあのようなわかりにくい画風ではなく、浮世絵のようによくわかりかつ美しい

落書きだったら、住民の反応は違っていただろうか、否、やはり落書きは落書きだ。

 絵の内容は同あれ、他人のものや公共のものに勝手に絵や文字を書き込むのが落書きで

あり、犯罪である。だが「芸術なら許される」と思い込んでいる人たちが、好き勝手に

落書きしているのが今の現状だ。

 が、かく言う著者も、学校の机に落書きをしてしまう。わかりやすいが自分のキャラをだ。

これこそ自分勝手だが、下品な言葉を書きなぐるよりは、漫画の絵でも好感の持てる

落書きならいいだろう、と考えてしまう。これでは前記の落書きしている人と同じだ。

だが、それでも「落書きに落書きする」のは趣味が悪い。教室の背面黒板に友達が自分の

キャラを描いたのだが、翌日見ると髭をはやされていた。加筆されていたのだ。

それならば消された方がましだったろう(それ以前に落書きするのが悪い)ノートの端なら

残せるし誰にも迷惑はかからないのだが、ノートを見返したときにどきっとしたり。

 

 「落書き専用の壁」ってのを作れば。ベルリンの壁くらいのサイズで(ぉ


楽焼き


 著者が通っていた小学校では、ある学年から楽焼きを作る授業がある。粘土をこね、

形を作り、一度目焼き、着色してもう一度焼く。すると光沢が出て綺麗なものに仕上がる。

きちんと作っていれば、だが。こねるのが足りなければ一回目焼いた時にひびが入ったり

割れたりして、大丈夫だった友達に笑われたりして踏んだりけったりだ。著者の場合は……

もはや何を作ったのか忘れてしまった。だが1つだけは家に残っている。

 ステゴサウルス。そのころ恐竜が好きだったのだろうか。他の人が作らないようなものを

というのと、あのとげのようなものを再現したかったのだろう。結局粘土をひねり出して

作っただけだが。親曰く「楽焼きで作るようなものではない」とのこと。確かに陶器は

湯飲みなど実際に使えるものだが、小学校の楽焼き程度で湯飲みや花瓶のような水を

入れられるものは作れないだろうと考え、鑑賞ようのものを作ったが、よくよく見るほどの

ものでもないし、出来でもない。

 あの授業には意味があるのだろうか、創造力を育てるとか、友達と楽しみながら作るとか

そういうことであろうか。少なくとも、それがある分他の授業がなくなるので楽焼きが

楽しみということもあったが。

 

 他に何作ったんだろう……捨てたから記憶にないんだろうな(苦笑)


兎と亀


 歩くのが遅い亀を兎が笑い、それならと兎に競争を挑む亀。初めは当然のごとく

兎が差を開くが、あまりにも亀が遅いので途中で昼寝をしてしまう。目覚めた時には

もう亀はゴール近くまでたどり着いており、慌てて追いかけるも結局兎が負けてしまったと

いうおとぎ話。子供のころによく聞かされただろう。だがただ聞いただけでは意味がない。

そういう話には必ず教訓があるものだ。この話の場合は、「勝つとわかっていても油断をすれば

負ける」「最後まであきらめずにやり通せば必ず成就する」という2つの教訓がある。

 ここまでがよく知られた「うさぎとかめ」だが、こんな話も聞いたことはないだろうか。

寝過ごして急いで追いかけた兎は、一度亀に追いつく。だが目の前に大きな湖が広がり、

亀は泳いで最短距離でゴールに行けるが、泳げない兎は湖を大きく迂回して行かなければ

ならない。これでまた亀がリードし、そのまま先にゴールする。まあこれも居眠りしなければ

勝っていただろうが、「誰でも何か1つは他より優れてるものがあるから、自分の得意な

ものだけを自慢して他を馬鹿にしてはならない」ということだろう。

 ちなみにもう1つ話があるのだが、ゴール前で兎が猟師に撃たれて死んでしまうのである。

これの教訓は判りかねる。

 

 「速い亀」って怖いだろうねぇ。あとガ○ラとか(ぉ


砂時計


 小学生の時に砂時計をもらったことがある。男子が水色、女子がピンク色の砂が

入ったものだ。だが著者のものだけガラスが割れて砂がこぼれており、代わりも

水色のものがなかったため仕方なくピンク色の方を渡されて、ふてくされていた。

 しかし砂時計を使う機会はあるのだろうか。もらったものは約3分のものだったが、

インスタントラーメンに使うにしろ、よく食べるものでもないし、食べる時にいちいち

用意するのも面倒だ。歯磨きに3分かけろと言われたが、そんなに毎日続くわけもなし。

だいたい、時計をみても判るし、その方が勉強になる。「砂が落ちきったら終わり」などと

単純なことで済ますのもどうかと思う。

 砂時計はかなり昔から作られていたようだが、カップめんなどない時代に用途は

あったのだろうか。文献によると、神父が教えを説くときに、15分刻みで4種類の砂時計を

使っていたらしい。また航海でも2時間、4時間や、船の速度を測るための十数秒のものも

あったらしい。砂時計でどうやって速度を測るのだろうか。4時間の砂時計などはどのくらいの

大きさになるだろう。それとも溝を出来るだけ小さくしたのか。しかしそれでは粒の大きめの

砂があったらすぐに詰まってしまうだろう。

 

 腕時計にはストップウォッチがつく時代だしな……


一寸の虫


 嫌な言い方だが、皆はどれだけの虫を殺してきただろうか。

 小さいものは蟻や蚊、大きいものはゴキブリや蜘蛛まで、人間に嫌われる虫はことごとく

駆除されてきた。しかもそのほとんどが何のためらいもなく、だ。

 飼われるような動物や虫をあやめると非難されるが、それ以外の生き物の場合は、

どうでもいいような扱いをされている。蟻でも鯨でも、同じ生き物なのに。

 「一寸の虫にも五分の魂」。小さな虫も生きようとしている。だから簡単に殺しては

いけないと。確かにその通りなのだが、なかなか実行に移せない。家の中にいるものを

外に追い出すにしても、また家の中にやってくるかもしれないし、卵を産んで数が増えることも。

それならそれらの虫が入ってこないような環境を作るため、こまめに掃除をすればいいのだが、

家中のいたるところ隅々までやるほどの時間があるだろうか。それに人間のいる所には

蚊はやってくるだろう。それはどうしようもない。

 それにしても「五分の魂」ということは、人間に対して半分の魂しか持っていないと

いうことだろうか。これが寿命のことなら判るのだが、そうでなければこれも一寸の虫を

軽視しているに変わりはない。

 

 もちっと見た目がマシで、虫を食う動物を飼うとか。そいつに責任転嫁



 あまりにもやることがなくて、テレビも面白いものを放映してなくて、「暇だなぁ」と

言っていると親に「暇だったら勉強しなさい」と高校生の時言われた。確かにやるべきこと

なのだが、つまらないものばかり=暇となっているので、言われたことに矛盾を感じた。

 暇にも長さがある。毎日時間がありあまるとき、著者のようにホームページを開くなど、

続けられる趣味を作れる。しかし休日にやることがなくなるだけとなると、暇つぶしも

制限される。2時間ほどのビデオを見るにも、続編があるものは、来週まで続きが気になって

仕事に身が入らないかもしれない。結局その日で終わるものを選ぶべきだ。

 コマーシャルの間は1〜2分でも暇だ。だが一人の時はまだしも他に見ている人がいるときに

チャンネルを変えまくるのは嫌われる。だからと言って見飽きたテレビ欄を見ても意味無いし、

その間だけ本を読もうとすると、コマーシャルが開けても本が気になってどちらにも集中

できない。コマーシャルもよく見れば面白いものもある。感じたものを楽しいかつまらないかの

違いで、暇かそうでないかが決まるような気がする。自分なりの楽しみ方を見つけてみよう。

今まで手を出さなかった分野でも、斬新な感じがして、それが勉強であっても、嫌いなものが

好きになるかもしれない。

 

 英熟語のゴロ合わせを考え、その文どおりにキャラを描く。これで楽しめた。

だが2回目(前にこのHPに載せてた)同じものをかくのは、さすがに飽きた(ぉぉ


嫌いな食べ物


 著者は、出来るだけ出された食べ物は残さないように心がけている。これは小学生の時、

班員全員が給食を残さなければポイントがもらえるという(別にポイントが溜まっても

誉められるだけだが)ことが今まで残っているのだと思う。小学5年の終わりごろから

中学3年まで給食は残さなかった。

 だが、給食は味よりも栄養を重視するからか、あまりにも美味しくないものもある。

六年生の時、「キャベツロール」というのが出、そのあまりのまずさに残したかったが、

全部食べることを続けていたため、泣きそうになりながらも全部食べきった。それからと

いうものキャベツロールを食べる気にならなかったが、その後食べる機会があり、

おっかなびっくり食べてみると、それほど食べれないほどでもなかった。あの時のキャベツ

ロールは何だったのだろうか。

 ピーマンといえば子供の嫌いな食べ物の代表格だが、著者はそんなに毛嫌いはしなかった。

しかし高校の弁当にあまりにもピーマンが入るので(ピーマンだけ使ったおかずというのも

あった)だんだんとピーマンが嫌になってきた。今でもピーマンを見るとあの時の弁当を

思い出す。さすがに時間がたったので多少は食べられる気にはなったが。

 

 キャベツロールとロールキャベツは違うのか?


超能力(六)


 性懲りもなくまた描いた"Super Ability"。ご丁寧にも日付まで書いてある。

'95年5月6日、連休中だ。暇だったので久しぶりに描こうと思ったのだろう。結局

10ページほどしか描けてないが。

 この回は、ルーズリーフに描いてある。たくさん描いた時に一冊のページ数を

自由に変えられるからか、途中で挫折した時にページが無駄にならないか。これも

やはり後者の結果となった。

 1ページのコマの数が6コマほどと、やっと従来の漫画くらいになった。これで

各キャラの表情もわかりやすくなったが、その分下手さも露出してしまった。

 ところで今まで同じ話を描いてきたが、科学者ウァイルーとその助手イエナの

話だったので、この辺で恋愛の面も取り入れようと思った。丁度思春期だったからだろう。

が、絵が下手なので感情入れるまで至らなかったので、よくわからないうちに

描くのをやめてしまった。それから女性の絵を、特に目の描き方を変えるようにした。

と言っても7月のある日に突然うまくいったので、今の女性の目の描きかたにも

その時の名残がある。ワンパターンというのもあるが。

 

 だいたい異性の絵は描きづらいという法則が。慣れるまでは恥ずいしね(*^^*)


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