本当は薬はあまり飲まない方がよいのだが、どうしても出掛けなければならない時には

飲むしかないだろう。しかし睡眠をさそうので、寝る前に飲むのが正しい。薬を飲まずに

安静にして寝るのが一番だが。

 著者はよく車酔いをするので(船は平気)酔い止め薬を飲んでいたが、錠剤のもので

味で酔いそうになったりする。のどに突っかかった感じも気になるし、酔い止め薬を

飲むと熱が出て余計に酔う感がある。もしかしたら成分に対しアレルギー反応があるのかも

しれない。そこで風邪薬のカプセルを飲んだ方が眠れるし酔わなかったりする。

 錠剤やカプセルを1錠だけ飲む時、面倒がって水無しで、あるいは唾をためてそれで

流し込んでいた人もいるだろうが、コップ一杯の水に対して薬の量は丁度よいので、

ちゃんと水で、余っても最後まで飲む方がいいらしい。だがその水が水道水の場合

あまり全部飲みたくないものだが。冷やしている水は冷たくて胃に悪そうであるし。

 「一日三回、食後三十分以内」に服用するように、と書いていても結構その通り

守って服用することは少ない。逆に病院からもらった薬は書いてある通り必ず飲んでいる

気がする。やはり諸症状に対し成分を変えてくれる病院の方が信頼できるのか。

 

 最近はそうでもないかも。病院の信頼(ぉぉ



 小学1年の時、校門で広告を配る人に渡されたものを見、気に入って親に頼んで

それに書いてある塾に進んで入った。英語塾である。小学生だったのでほとんど

文法を覚えることは出来ず、単語ばかりは数が増えていった。小学生の時に英語を習うと

クラスメイトに英語で話し掛けるなどという子供を思いつくのだが、実際は親が

英語塾の講師という友人と知識の競い合いをした以外は自慢のようなことはしていない。

ただ「ABCのうた」は馬鹿みたいに連唱していたが。

 中学になって、姉が行っていた数学と英語の塾に行くようになった。そこでは1クラスに

生徒が10人程度で講師との距離が近く。質問もしやすかったので学力は身に付いたと思う。

競い合う友達も出来るので、人数は少ない方がよかったのだろう。

 高校入学時に、著名な塾に入る予定だったが、学校の説明会で「塾へ行かなくてもよい」

という言葉を聞き、行くのをやめた(内心嬉しかったが)。しかし勉強をやる時間は減り、

今までよりよくなることはほとんどなかった。それでやはり塾に行った方がよかったかと

思ったが、学校の間では、著者が行く予定だった塾に通う生徒はあまり出来が良くないらしい。

複雑な気持ちである。

 

 どうせ講師→生徒の一方通行だったろう。1クラス人数多そうだし


泣くな


 著者は泣き虫だった。ちょっとしたことでもすぐ泣き出し、まわりの手を焼いていた。

今思えば、子供だったから仕方ないが、本当によく泣いていたな、と思う。今、小さい子が

デパートなどで駄々をこねて泣いていても、そんなに気にもしないし、気にしようとしない

だけかもしれない。

 よく言われたのが、「泣いたら何でも自分の思い通りになると思うな」。だいたい、そういう

考えを持って、すぐに泣くことは出来ないと思う。だからそんなことは思ってないと言いたいのに

泣いているから言えないし、言ったとしても何の解決にもならないだろう。

 「よく泣くからいじめられるのだ」と先生は言う。「いじめるから泣く」のに、原因と

結果が逆になっている。当然だがいじめた側に注意すべきなのに、著者の方が居残りさせられる

ということになった。はっきり言って逆効果である。今でもその担任を恨んでいる。

 親だって「なぜ泣くんだ」と怒る。答えが出ず「悲しいから」と言うと「何が悲しい」

と更に怒る。答えを考えるため夜中家の外に出されたり、1時間説教させられたこともあった。

親が怒るから余計に泣いている分もあると、今になって考えるのだが。それらの意見はその時に

言っても怒られるだけなので、ただ泣くだけしか出来なかったのかもしれない。

 

 「男の癖に」は不可。思春期以前は男女差別なし。それ以降は流石に……だが



 そろそろ雪の降る季節だが、比較的雪の少ない四国では雪が降ると嬉しくなる。

それは学校が休みになる子供たちだけで、雪でも仕事がある大人は道路が滑りやすいので

渋滞必至。良い事は一つもない。

 豪雪地帯では何十センチも積もっても学校はあるのだろう。身長よりも高い積雪を

みてみたいのか、ただ学校が休みになってほしかっただけか、たまにそういう地域に

あこがれたりするが、当事者はたまったものではないだろう。毎日それでは流石に嫌になる。

 中学生までは学校も近かったし、すぐに休みになったので雪は大歓迎だったが、

高校に入ると、高校が雪の積もりにくい地域にあったので、通学路がどんなに積もっていても

行かなければならなかった。車の方がすべって危険なので、降っていても自転車で行くしか

なかった。何度かすべって危ない思いをしたことも。

 昔は冷たい目に遭いながらも外に出て雪だるまを作ったり、明らかに雪が足りないが

かまくらを作ろうと雪をかき集めたりして遊んだが、大学生にもなると例え十分な雪が

あっても、さすがにそういう遊びは敬遠するようになるが、大学は休みになるので

家でゴロゴロしてるしかないだろう。それが一番安全なのだが。

 

 雪は埃を核にして結晶を作るので雪を食べる=埃を食べる(笑)



 流石に大学生になってはしないが、教室の席が窓際で授業中飽きたときに、

何か反射できるものに太陽光を当て、天井や誰かの後頭部に光を当てて時間を

つぶしていたものだ。透明なプラスチック板は通過する光も多いが、裏に黒い紙を

当てればほとんど反射する。夜中の窓ガラスに自分の姿が映りやすいことを利用している。

 コンタクトレンズをつけていると、ずれた時にすぐ直せるように小さな手鏡が

あった方がいいような気もするが、男なのに鏡を持ってる、なんて思われたくないので

持ってない。

 当然のことなのだが鏡には左右逆に姿が映る。そう判っているはずなのに、自分の姿は

左右逆に覚えていて、ほくろの位置なども勘違いしてしまう。左右正しく見るためには

鏡2枚を90度の角度で合わせれるのだが、この鏡は使いづらい。やはり左右逆に見える

ほうが判りやすい。

 マジックミラーは片面は鏡のようだが逆からは向こうが透けて見えるものである。

これは監視などの犯罪防止に使われるようだが、逆に覗きなど犯罪にも使われるような

気がする。これに限らず、使う人によるのだが。

 

 「白雪姫」の魔法の鏡って、別に鏡でなくても……


長寿


 日本は長寿世界一の国である。やはり医療機関が発達しているのと、国民の生活が

ほぼ安定しているからであろう。アメリカは先進国だが国民の収入格差が大きく、医療を

十分に受けられない人もいるから、日本には及んでいないのだろう。しかし長寿という

ことは全人口に対する老人の割合が高くなり、高齢社会となって結局人口が減ることに

なってしまう。現に、長寿は一番だが寿命は少し短くなったらしい。

 昔は寿命も短かったので還暦ともなると盛大にお祝いしたのだろうが、今や喜寿を

迎えるのが平均となっているのでそれほど祝うものでもなくなってきてるのではないだろうか。

もちろん健康はよいことだが。それにしても喜の字をくずすと七十七、米の字を分けると

八十八だからそれぞれ喜寿、米寿というのはおかしなものだ。白寿に至っては百引く一が

白だから、というのは子供のなぞなぞの発想である。だが「七十・三つ子」と言って

年を取ると子供に戻るという例えを考えると判るような気もするが。

 老人は昔話をよくするが、昔印象に残ったことはほとんど忘れないが、最近のことは

すぐに忘れてしまう。だから話すことがそれしかない。まあ聞かせてくれるのはいいのだが

孫の小さい頃の馬鹿な行動を本人に聞かせるのは勘弁してもらいたい。

 

 とかいいながら自分も年取ったら孫に同じように昔話したりして(汗)


金持ち


 金持ちというのは誰もがあこがれるものだが、それは世の中は金がすべてということに

なっているからだと思うと少し寂しい。だからといって物々交換の時代にも戻れないが。

 事業に成功して金持ちになったのはすばらしいことだが、ギャンブルで大当たりして

金持ちになったのはどうだろう。庶民でもなれる可能性はあるが、それで金持ちになった人は

有頂天になり庶民を下げずむ傾向があるような気がする。こつこつ働いて金持ちになった

人はその辺りのことはわきまえていると思う。金持ちでもなり方によってイメージが違ってくる。

まあその「なり方」が性格をも映しているわけだが。

 いくら金があるからといって部屋が二・三十もある豪邸を建てる必要はあるのだろうか。

「今日はこの部屋が寝室、明日はその部屋が……」などと楽しむのだろうか。価値の高い

骨董品や絵画を集める人もいるが、金持ちの全てがその良さを理解するものではないはずだ。

そして「これは安いものですけど、100万円くらいで……」というお金の価値が庶民の

何倍にも下がってしまう。

 「もし宝くじで1億円当たったら」という質問はよくあるが、著者の答えは

「ちょっとずつ贅沢に使う」。……ケチかもしれない。

 

 ゲーム好きの金持ちは地下にホームゲーセンとかあったりして。


超能力(七)


 1996年。この年から本当に漫画を描こうと思った。今までは、一日でも描かない日が

あると、すぐにやめてしまうという傾向があったため、ノート1冊終わるまで毎日何ページかは

描くようにした。しかもそのノートはB5で100枚、200ページのもの。しかし今回は

絵も上達したため、続ける自身はあった。

 この「毎日続けること」は正解で、12月上旬までに6冊60話描くことができた。

一話17ページ、1ページ4〜5コマ。市販の漫画にかなり近づいたと思う。

自分の漫画を中学の部活の友人に見せ、それで好評を得たのも今回のが初めてである。

 ところが12月、漫画が途切れてしまった。原因は、12月発売のSFC版DQIIIである。

その後やはり描くことをやめ、中途半端のまま高校生となる。だが友人から続きが読みたいという

要望があり、ふとした時に続きを描くようになり、予定から1年遅れで、第7巻が完成した。

そして第8巻も描こうとしたが、主人公が変わって話があまりまとまってなかったので、

結局十数ページ描いて中断してしまった。多分続きを描くことは無いだろう。

 これが今まで描いた"Super Ability"の新作だが、いずれはまた新しく描きたいと思っている。

だがあまりにも物語が膨張しすぎてまた完成前に止めてしまいそうだが。

 

 次回からその最新作の各冊紹介予定。やっとbmsのBGAキャラがちらほらと


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