単位


 幼いときから、物の単位というものを覚えさせられる。本は「冊」、車は「台」、

豆腐は「丁」……は、難しいが。とにかく対応するものはすべて正しい単位で答えないと、

算数であろうと減点の対象となる。

 さて、哺乳類は通常「匹」、あるいは「頭」であるが、兎は例外で「羽」である。

江戸は将軍綱吉の時代、生類憐れみの令により動物は大事に扱わなければならなかった。

その肉を食べるのはもってのほかである。しかし肉を食べたかった人は、兎を

「鵜(う)」と「鷺(さぎ)」を掛け合わせた鳥の仲間だとし、その肉を堂々と食べたという。

ここで生類憐れみの令は鳥類には適用されないのか、という疑問はおいておくとして、

そんな個人的なこじつけが今まで残っていて、兎は一羽、二羽と数えられるのか。

このせいで何も知らない子供たちは1匹2匹と答えて減点をくらうのか(匹と答えても

マルをくれる場合も多いが)

 似たような話もある。電流は、+極から−極へ流れるものだとずっと思われていたが、

電気の元である電子は−極から+極へ流れることがわかったため、訂正されるべきであるが、

電流と電子の流れは別のものとされ、実際には存在しない電流が一般化されている。

 

 もし「羽」で減点食らったら、こう答えて(言い訳して)マルもらってください(笑)


略字


 先生が黒板に書いている文字をノートに写すときには、「門」などの字を略式で

書くのは構わないが、黒板に書くときは略しないでほしい。写すスピードを上げなくては

ならないというのもあるが、公に見せる字は略でない方が良いと思うのだが。

 「門」を略するのはよく使うが、「第」を略するのはあまり使わない。ぱっと見て

「第」と気づきにくいというのが理由か。嫌いな略し方もある。「点」の下の部分を

「大」と書くものだ。なぜか好きになれない。他の字で同じ部分がそう略されるのは

見たことが無いのに。「点」の場合は、それが旧字体などなのだろうか。

 「歳」の場合は、「才」という漢字が元々あって、どちらを使っても正しいようだが、

最近は前者ばかり使っている。数字に対し、画数が多ければ漢字だと気づきやすいから

というのもある。それに後者は片仮名の「オ」と間違えやすい。

 「締切」を「〆切」と書くこともあるが、この「〆」というのは国字なのだが、

実は漢字らしい。「締」と同義なのだろうか。こういう字は他にもあり、一字で「|キ」と

書いて「時」を表すらしい。しかし「〜〜あります」の「ます」を記号化した升で

略するのはどうかと思う。昔からあるようだが、それも漢字なのだろうか。

 

 旧字体を略すべきかは曖昧。特に人の苗字に使われてると正しく書くべきだろうか。


国歌


 最近、卒業式などで日本の国歌を歌いたがらない生徒が増えているらしい。

歌詞の内容が、戦前のように天皇を褒め称えているように読めるからだ。確かに

式あるごとに国歌を歌う必要も無いと思うのだが、教育委員会はどうしても

歌わせたいらしい。

 一方ロシアでは、国歌をソビエト時代のものに戻すらしい。これも昔の政策を

進めた人を褒め称える歌詞で嫌われているが、音楽に関して言えば、今の国歌よりも

人気があるらしい。それで変えるとのこと。歌詞はなくすか、別のものにするのだろう。

実際歌詞の無い国歌もあるようだ。

 日本の国歌の歌詞を変える、という話はあまり聞かない。それよりも本当に天皇をあがめる

内容なのか調べているようだ。だが今の時代になって歌詞がどうこうというのは変な話だ。

韻だけを聞いて、意味を考えずに作られたり聞かれている歌が多い時代だというのに。

 もしかしたら、戦争で被害を受けた外国人たちから、戦争を推し進めた天皇の歌を

今だに歌っている、と怒っているのかも知れない。皆が勝手に天皇のためにお国のために、

と戦争を起こしたのだから一概に天皇が悪いとも言えないのだが。

 

 天皇誕生日って祝日にする必要あるの?どんどん増えるし。まあ学生にゃうれしいが


蛍光灯


 電球や蛍光灯のおかげで、夜真っ暗にならなくて済む。その分夜中まで勉強が、

出来てしまうのだが。

 蛍光灯は使いつづけていると弱くなり、最後には点かなくなる。全く点かなくなるよりも、

点くか点かないかの間で点滅したり、長いこと待ってようやく点いたりする方が

気にさわる。そういうときはさっさと交換すればいいのだが、高い所にあることが多いし、

蓋を外さなければならないのもあって煩わしい。著者は家族で一番背が高いので、いつも

交換させられる。確かに自分も使うものだから仕方ないが、それにしても一つ切れたら

連鎖して切れているような気がする。交換時期が同じだからか、それでもスイッチを

入れたり切ったりするごとに消耗すると聞いたのだが。

 いま勉強机に座っているが、ここの蛍光灯は交換した覚えが無い。いつも長いこと

使っているはずなのに、物が良いと言えど、部屋の蛍光灯よりも長いのはなぜだ。

コマーシャルで、寿命が延びた、などと言っているが、実はもっと寿命を延ばすことは

可能で、そうしたら蛍光灯の需要が低くなるから、わざと抑えたり、徐々に延ばして

新しくなったといって儲けているのではないか、と考えたりもする。

 

 なんで虫はあんなに光が好きなのだろう。一匹でも鬱陶しい



 今日起きて服を着てしばらくした後、ボタンが一つずつズレていることに

気づいた。まあたまにあることだが、直すのも面倒だ。一度外して今度こそは、

と考えている時に限って、同じ過ちをしてしまう。

 ボタンは、下からかけていけば良いのだが(上からだ、という意見もあったが、

著者は下からだと教わったはずだ)、急いでいると手近なボタンから止めにかかる。

それでよくずれるのだ。だが今着ている服は、一番下に予備のボタンが付いているため、

下から付けていくと必ずずれる。まあ裾を見なかったのもいけなかったのだが。

 ところがこの服、着る前からボタンはかかっていた。ボタンが多い服は毎回

ボタンを止めるのが面倒なので、襟元だけ外してそのまま脱ぐ。多分洗濯時にも

外していないだろうから、服もちゃんと洗えていないだろうが。それよりも、

ボタンを外していないということは、前回着たときもボタンがずれたままだった、

ということか。全く気づかなかったが、誰にも注意されなかったのでいいのだが。

誰かが気づいていて、それを言わないのなら、その方が恥ずかしくない。

「知らぬが仏」という言葉もある。

 

 学生服の袖のボタンにはどういう意味が……飾りだけ?


概数


 100人、と書くと「丁度100人」と読めるが、百人と漢字で書けば、

「およそ100人」だと思う。逆に言えば詳しい数がわからなければ算用数字で

書かないほうがいいような気がする。

 物理の授業では、桁が多かったり非常に小さい数を取り扱うため、値を概数で書く

必要がある。65,000なら6.5×10、0.0016なら1.6×10−3のように。

ここで有効桁数は2桁だが、問題を解いて答えを書くときに有効桁数を間違えると、

値は正しくても減点になるのは納得がいかない。「有効○桁で答えなさい」と書いてあるなら

まだしも、問題中に使われている数から考えて、というのは難しすぎるのではないか。

 四捨五入は概数計算でよく使われるが、はたして本当にいいものなのだろうか。

1や9で適用するならまだしも、4、5のあたりだとかなり誤差が出るような気がする。

有効桁数が、といっても3,149と3,150を十の位で四捨五入をすると3,100と3,200で

1の差が100の差まで開いてしまう。5に近い値の場合は、5にするのが良いのではないか。

つまり0〜2(2.5)、が切り捨て0、3(2.5)〜7(7.5)が5、8(7.5)〜9が切り上げ0に

するような計算方法も必要なのではないかと思う。

 

 だんだん計算が簡単になっている学習内容と逆の立場になるが。


第九


 クリスマスが近づくと、歌手はこぞってクリスマスの歌を新曲に出す。たとえ

いい曲でも、クリスマスが過ぎれば人気はどうしても落ちる。一時期だけ売れるものは

あまり効率がいいものではないが、聴いてもらいたいだけ、というのもあるだろう。

 キリスト教ではこの時期に聖歌を歌って祝う。もちろん昔からあった曲だ。

この曲は単に皆の幸せを歌うものであって、今の歌手が出す恋人の歌ではない。

キリストの誕生日とされている(実際はそうでないらしいが)のに、ラヴソングは

おかしいと思う。

 さて著者の住む徳島県の、鳴門市では毎年クリスマスになるとベートーヴェン

作曲交響曲第九番、通称「第九」が歌われる。日本で初めて第九が歌われた

場所らしい。この時期に歌われるということは、これも宗教的な歌だったのだろうか。

「歌われる」と書いたが、交響曲に歌詞があるのもそんなに無いものと思われる。

そのせいか、学校でもドイツ語でこの歌を覚えさせられるのだが。

 第九の演奏時間は、他の交響曲よりも長い74分。CDの容量が音楽にして

74分というのはここから来ているらしい。

 

 しかも今年はEnd of the Century(笑)


作品(八)


 今回紹介する7巻の途中で、かなりのブランクを開けてしまう。だが再開しても、

大して画風は変わっていないのが良いのか悪いのか。

 母セユネと再会を果たしたシャノン。母の願いもあり、皆と魔王マセルの兄マデラを

倒しに行くことに。ユマの病気を治す薬草があるというマヨットも、魔物によって

滅ぼされレていた。だがソフィアは、マデラに気に入られてか殺されなかった。

それでも彼女は村人の仇が取りたいとついていくことを決意。そんなソフィアが、

母親の面影と重なるシャノンは気になっていた。

 薬を飲み、回復したユマ。8人で山岳地帯を渡るのは魔物に見つかりやすいので、

4人ずつ2組に分かれるように提案。しかしこれは物語を考えた上のことであって

あまり意味の無いことにも見えるが……このパーティー分断というのは昔描いた

「タケチャンクエスト」でもあったことで、キャラ分けも似たようにしている。

材料として使おうと思っていたので、嬉しげに分けたのかもしれない。

 次の話は、シャノンとソフィアのロマンスの話である。二人とも不器用なので

隠れて覗くペザロやウナイザの反応も面白く描けた、と思う。

 

 今見りゃ恥ずかしいのぉ(笑)次回は丁度最後か。


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