一次審査の日


「ゴメン、待った?」

「ううん、私が早く来すぎただけだから」

 今日は瑠璃絵さんのボーカルオーディションの一次審査の日。俺も一緒に行きたいと

言っていたので駅で待ち合わせをしていた。俺は時間より15分ほど早く来てみたが、

瑠璃絵さんはすでに待っていた。

「そりゃ仕方ないよ、遅れちゃいけないと思うと早く来すぎるもんだし」

「うーん、でもテツ君が早く来すぎちゃって一人待たせちゃいけないっていうのもあるわね」

「いやあ、それこそ俺の役目ですよ」

 などと何かいい雰囲気で電車に乗る。今日はそんなに混んでなかったので2人とも席に座れた。

「本当は、あんまり緊張してないかな?何度か一次審査受けて、落ちちゃったから」

 そう言われると、こっちも笑ったりできないんですけど……とりあえず

「でも、ちょっと緊張した方が実力を最大限に発揮できるらしいですよ」

 そういう俺もあんまり緊張などしたことがない。いやビーマニとか?あれは……ゲームだし。

瑠璃絵さんの場合は人生を決めかねんことだからな。初めて一次審査を迎えた時はとても

緊張しただろう。

「そうね、その点では、テツ君はいい緊張になってくれるわ」

 瑠璃絵さんが微笑むと、自然と顔がにやけてくる。ここは男らしい顔をしていたいのだが。

「今日は、面接と……」

「好きな曲を1曲歌うの。このテープに入ってるんだけどね」

 彼女はポーチからケースに入ったカセットテープを取り出し、

瑠璃絵

「この中に入ってる曲はね、私が歌手になりたいって思わせた曲なの。だから一番歌ってる

 曲だから、完璧に歌える自信はあるんだ」

「へえ、それじゃ通ったも同然じゃないですか」

「でも、他のオーディションでこの曲歌っても、落ちちゃったんだけどね」

 ってダメじゃん……というか、そんな歌俺ならもう歌いたくもないが……それほど彼女は

その歌が好きなんだろう、この曲を歌って合格したいと思っているんだ。

「最近になってね、譜面どおりに歌うだけじゃいけないってわかったの。その歌を歌いたく

 なるのはどういうときか、どういう気持ちを込めて歌えばいいか、歌と一体になって

 歌わないとって」

 意外と誰にでもできそうなことだけど、実際は難しい。カラオケはあまり行かないけど、

行っても画面に出てくる歌詞を見るのに気をとられて音程を合わすのがやっと。歌詞も自然に

出てくるようになって、そして歌詞の意味を受け取ってやるべきなのか。歌手の道は深いな。

「今までわからなかったのかも知れないね、この歌……想いを伝えたくても伝えられない

 女の子の歌なんだけど」

 瑠璃絵さんはカセットテープをしっかりとポーチにしまうと、そのポーチをじっと

みつめたままうつむいている。

「私もまだ子供だったのかな、恋したことないから譜面どおりに『なぞれ』ても『歌え』て

 なかったんだ」

 ……俺も今度から気持ち込めてキーボード弾いたりビーマニしたりするかな……いやあれは

アナログじゃないし、第一"DXY!"や"250bpm"なんかに何を気持ち込めればいいんだ?

それよりも、ということは、今瑠璃絵さんは恋してるってことなのか……? だとしたら……

やっぱり……針井なんだろうか。無愛想のあいつに親しく話ができるのは彼女くらいだ。

宗谷のは無視してるくらいだからな。

 

 会場は総合ビルの中にあり、どうやらゲーセンもあるらしい。時間は潰せそうだな……って

まるでそれが目的みたいじゃないか。

「じゃあ行ってくるね」

「ああ、頑張ってくださいね」

 終わったら帯に電話してもらうことにし、エレベーターに乗る彼女を見送る。今日は審査

だけで、発表は2週間後らしい。さて……いわずもがな、俺の足はゲーセンへと向かっていた。

 

 そう甘くはないようで、ゲーセンには5鍵やDDRはあるも7鍵はあらず。仕方なく6th MIXの

EXPERT+なんかやっておいた。しばらくして電話が来、集合場所へと向かった。

「どうだった?」

「いつも通り、かな?でも気持ち込めて歌えたよ♪」

 俺が審査委員だったら迷わず合格を――って、まだ瑠璃絵さんのような女性がいっぱい

受けに来てるんだったな……似たような人はあまり選ばれないだろうし、瑠璃絵さんも何か

独自性をアピールできてたらいいんだけど……と俺が心配しても仕方ないな、励ますために

付いてきたんだから。

「それじゃ、帰りますか」

「ええ」

 2週間後、瑠璃絵さんも俺も笑顔でいられますように……


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