阿波踊り


 「徳島出身なら皆、阿波踊りが踊れるだろう」と思われているらしい。

 盆になれば、阿波踊りを見に来たり、踊りに来たりと、全国から大勢が徳島にやってくる。

芸能人までも一緒になって踊る。踊りというものは、何かの祭りの中で踊られることが多いが、

阿波踊りの場合はただ踊りだけを楽しんでいるようだ。さながらリオのカーニバルである。

いち地域の盆踊りがどうしてこんなに脚光を浴びているのかが不思議でならないのは、

著者が徳島に住んでいるからであろうか。

 著者は阿波踊りがあんまり好きではない。踊り全般が好きではないのだが。

 徳島県民は阿波踊りを小学生のとき必ず踊っている。それも運動会の昼の部の一番初めに

全校生徒参加で踊る。著者の小学校の場合、伴奏はトランペット鼓隊であり、踊りながら

いろいろな隊形を作るというのもした。それを6年である。飽きるのも無理はない。

まあフォークダンスよりは恥は少ないが、なんといっても腕が疲れる。常に頭より上に

位置しなければならないからだ。そして体全体を揺さぶりながら左右に歩く。

腰はかなり低い位置。これが男踊りだ。女踊りは知らないが、似たようなものだろう。

そしてその通り踊らないと、先生に何度も注意されるのである。嫌になるのも無理はない。

 

 「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃそんそん」アホアホ言うなよ……


計算用紙


 数学の試験などで配られる白紙の計算用紙、実は使いづらい。

 まず試験が始まってから配られるのは問題外である。問題用紙の余白に計算していたのを

消すか消さないかを考えるのにも時間と集中力を費やす。

 途中の式も書かなければならない問題には、計算用紙に下書きなどをしていると時間が

かかる上、計算用紙なのにもかかわらず間違うと字消しで消してしまう。それならば始めから

解答用紙に書けば早いのに。

 解答用紙の解答欄が裏面もある場合、書き込んだ計算用紙を解答用紙の下に引いていると

解答用紙の裏に筆跡が黒く残ってしまう。そこに答えを書いていても読みにくい。

 簡単な試験なら白紙のまま終わるし、難問ぞろいなら隙間という隙間に書き込んで

さっきの問題の計算をどこに書いたかわからなくなるという事態にも陥る。

 解答用紙と同じように読み手にもわかりやすく、しかし素早く書く必要がある。やはり

暗算よりも目で見て計算したほうが考えやすいからだ。区分けなどをして、十分な余白を

作りながら計算を書くべきである。もちろんそれは、直に解答用紙に答えを書き込むならば

なおさらの心得である。

 

 僕って基本的に字がでかいからね……そしてなぐり書きだし(だめぢゃん)


五十歩百歩


 五十歩百歩の言葉の由来は、中国での戦争にある。

 ある二人の兵士が戦いのさなか、命が惜しくなって逃げ出した。一人は五十歩逃げ、

もう一人は百歩逃げた。すると五十歩逃げた兵士が百歩逃げた兵士にこう言った。

「お前は百歩も逃げて、臆病者だなあ。俺は五十歩しか逃げてないのに」と。すると

二人の隊長が「五十歩でも百歩でも、逃げたことには変わりはないではないか」と

怒鳴ったという。つまりこの言葉の意味は、「大して変わらないことなのに差をつけようと

すること」と言えよう。

 しかしこうは考えられないだろうか。戦いの中、兵士にとって逃げるという行為は

恥ずべきことであっても、一人の人間としては生き延びようとする本能が働いていると思える。

またはその時代は徴兵制度で、戦争に行きたくなくても行かされることもあったのかも

知れない。百歩逃げた兵士は五十歩逃げた兵士に笑われても彼の二倍速く「逃げられている」。

百歩逃げた兵士の方が自己防衛の点では優れているのではないか。

 そう考えれば、五十歩百歩の意味も少し改めた方が良いような気もするのは、

著者の思い込みであろうか。

 

 「ごじっぽひゃっぽ」。将棋の「ふ」じゃない……てそれくらいは判るか。


最初は石


 ジャンケンをするとき、「最初はグー」と言って皆グーを出してからジャンケンをする。

何かの番組でその理由を聴いたのだが、この掛け声がなければ、初めにグーを出す割合が

多いということだ。小さい子供はその傾向が強く、初めにパーを出せばかなりの確率で勝てる。

チョキやパーを出しやすくするため、この掛け声があるという。

 それは納得できるのだが、こんな掛け声もある。地方限定かもしれないので、全文を書く。

 「最初はグー またまたグー いかりや長介 頭はパー 正義は勝つ ジャンケンポン」

 まず二度グーを出すことが判らないが、そんなことよりも次が失礼である(ここでチョキと

パーを出すことになっている)。ドリフで馬鹿なことをやっているが、あれは人を笑わせようと

しての演技である。もともとドリフターズはバンドグループだし、彼自身も刑事役などの

名俳優である。上のような言葉を決して口にしてはならない。(別にファンではないが)

 次の正義は勝つでグーを出すのもおかしい。勝利のVサインなどもあるし、パーを出すのは

悪というものでもない。やはり全て変な掛け声である。小さいころ不思議とも思わずよく

言っていたものだが。

 あと、「最初はパー」や「ジャンケンホイっと出すアホがいる」というのもしらける。

 

 ジャンケンって何語だろう……ケンはやっぱ「拳」か?


自己速度


 皆はドラゴンクエストIIをプレイしたことがあるだろうか?あれを始めから

するとき思うことは、サマルトリアの王子を探す手順が面倒であることだ。

あちこち進んでも常に一足先にその場を去っていて、それでいて城の人々から

「のんびり屋」と言われる。宿屋でいるのを見つけた時は、のんびりしてくれて

よかった、と思うかもしれない。

 「マイペース」と「のんびり」は違う言葉である。確かに、規則的な間隔で行って

いたものが、その間隔がだんだんと広がっていくことが多く、その言い訳で

「マイペースで〜」と出るかもしれない。それが「のんびり」と同じだと思われる

原因だろう。時には等しくなる人もいるだろうが、マイペースの意味はあくまで

「自分のペース」であって、せっかちなこともある。だから「他の人のペースと

合わせずに」というのも付け加えよう。

 著者は、階段や自転車で特に急いでなくても、前が並列して話しながらゆっくり進むのは

癇にさわる。自分のペースを崩されるからだ。その点、人任せで自動車等に乗っているときは、

多少渋滞していても気にしない。(もちろん、時間が迫っているときはときは焦る)

 

 ……チッ(こらそこ!少しは後ろを気にかけろよ)


永久機関


 他から燃料を一切加えなくても動きつづける。それが永久機関である。

 昔の人は永久機関を作り出そうと試みた。水車で水を汲み上げ、その汲み上げた水で

その水車を回そうとしたり、磁力と重力を使って金属の玉が坂を上り下りできるのではとも

考えられた。永久機関と見せかけて実は電気を供給させていた、という見せ物まで登場した。

 実際は理論上永久機関は作れない。他からエネルギーが供給されないと、必ず摩擦などで

消費されるエネルギーが出来てしまうからだ。

 しかし著者は、これは永久機関になるのではないか、と考えている。

 豆電球に太陽電池を繋げ、懐中電灯にする。太陽電池は電球の周りにいくつも並べ、

直列で繋ぐ。一度光を当てれば、太陽電池により電気が流れ、その電気で電球が光る。

その電球の光で太陽電池に……と、永久ライトになりそうである。

 試したわけではないが、太陽電池の効率と、豆電球の光と電力の関係で、光を当てても

すぐ消えてしまうかもしれない。(考えた当時は電気が余剰して電球が切れるのではないかと

考えたりもしたが)だからこそ、今後の太陽電池と豆電球のさらなる進化を期待しながら、

机上の空論を述べるのである。

 

 永久機関作れたらノーベル賞もん。これはやるしか(だから無理だって)


目覚まし


 高校までは親に起こしてもらっていたが、大学に入って一人暮らしをすると、

目覚し時計が必需品である。しかし、著者はどうも目覚し時計と合わない。

 親に起こしてもらっていたとき、目覚し時計はほとんど使っていなかったのだが、

日曜の朝早くに見たいテレビアニメがあったりすると、目覚ましをセットする。

そうすると時々、セットした時間の数分前に目を覚ましてしまう。それはいいこと

なのかも知れないが、なにか損した気持ちになる。

 あるいは、目覚ましを仕掛けたにもかかわらず、寝過ごすときもある。寝ぼけたまま

目覚ましを止めまた寝たか、目覚ましがうまく作動しなかったのだろうか。

それからは、アナログ時計の目覚ましは信用していない。とくに上部に鐘が二つついたものは、

うまくならないことが多いと思っている。 それに対しデジタル時計で、一度ベルを止めても

数分後に再び鳴るという「スヌーズ(「居眠り」の意)機能」が付いているのはありがたい。

止めた後寝てしまうケースが多いからだ。

 あと、本当に起きようと思う時間より早く目覚ましを設定しない方がよい。まだ時間があると

思って二度寝して、結局寝過ごすことがあるからだ。(著者も何度かあるのだ……)

 

 目覚まし複数仕掛けると、一回目で起きたときに二回目が結構ムカツク。

自分で仕掛けたのに(苦笑)


竹探(五)


 今日はタケクエの、第一部の前半(第1話〜第10話)のストーリーを紹介しよう。

 主人公ユーザーの父親が魔王征伐に行き敗れる。DQIIIのオルテガと同じである。

その後ユーザーの村が魔物に滅ぼされ、ユーザーだけ生き残る。DQIVの勇者と同じ。

偶然通りかかったとある国王に助けられ、仲間を酒場で集めるよう勧められる。

ルイーダの酒場だ。そこで仲間にした二人、コナンとクリフトと共に南の洞窟に行き、

鍵を手に入れる。しかし今後その鍵が使われることは一度もなかった……

 次の町で「容疑者A」が人質を取っていた。彼の目的は不明であった。人質を助けるために

二人の仲間は犠牲となる。ところが人質となっていた少年アレンはユーザーの仲間になり、

メラゾーマやイオナズンなど強力な呪文を使える。それならば人質などならなかったはずなのに。

 次の町では献血をする。このネタはふと見たドラマにチラッと出た言葉だが、「これだ!」と

思ったのだろう。実は魔王の手先が血を抜きすぎるという罠。が、そのまま殺さずに

密室に閉じ込めたのも謎。最後はアレンがパルプンテで呼んだ魔人によって助けられる。

 その後、なぜか田舎訛りの武闘家ピピンが登場するも、呪文を跳ね返す呪文マホカンタを

かけた魔物にアレンがバシルーラを唱え、跳ね返って吹っ飛んだアレンの巻き添えを食らい、

一緒にどこかへ飛ばされてしまう。ユーザー、また一人ぼっちである。

 

 意外と長いなぁ。今回だけで第一部全部書けると思ったのだが。


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