せねばならぬ


 レポートの期限が迫っているが、「あー、ビーマニせなあかんのに時間無い」と言ったり

することがある。そしてその直後に「『せなあかん』ことはないだろう」自分でつっこむ。

このようなことを言ってしまうことはないだろうか。必要でないことが日常となってしまった時に

つい癖で口にだしてしまう。

 「しなければならない」という言葉は「『しない』わけには『いかない』」という二重否定で

強調して「義務」を表す言葉であるが、英語では"have to do(この場合に限りhaveを

「ハフ」と読む)"と"must do"の二種類の表記があるが、その否定は全くの別物で、

"do not have to do"は「〜しなくてもよい」、"must not do"は「〜してはいけない」

である。習った人もいるかと思うが、著者には違うことはわかっていてもなぜ違うのかが疑問だ。

mustには過去形がないので、「〜してはいけなかった」という表現はどうすべきなのだろう

(習ったかもしれないが、身を入れて勉強していなかったのかも)。

 今までこの「しなければならない」「してはいけない」を何度聞かされただろう。子供の

頃は何も知らないから、義務や禁止を覚えさせられるのだが、親がそれを怠ると、子供は

我がままで自分勝手な性格になってしまうのだろう。逆に多すぎてもいけないが。

 

 丁度であっても多すぎるような気がする……子供にとっては


下敷き


 昔は、下敷きは面倒と思っていたのだが、筆圧が強いので裏の文字がどんどん写ってしまって

汚くなるので、下敷きをしくようになった。

 下敷きには紙製とプラスチック製があるが、一長一短だ。紙製を使っていると、角の方から

めくれてくる。そのうち気になって鉛筆を間に差し込んでたりしていると、最終的には2枚に

分離してしまう。裏とはいえぼこぼこの面では安定して字がかけない。それでプラスチック製を

選ぶようになったのだが、今度は割れやすいことに気づいた。と言っても、夏の暑い時期に

うちわ代わりに使うのも原因なのだが、ちょっとの割れでもそこに鉛筆が来ると溝に筆跡を

もっていかれてしまう。

 そういう時は買い換えるのだが、「地味下敷き」が少ない。ほとんどがキャラクター物で

占められていて、買うのには恥ずかしい。それでも、「プラスチックで透明なもの」という

下敷きしか買わないと決めている。不透明だと、紙製かもしれないからだ。

 硬筆練習用の、透明で柔らかいビニール製の下敷きが大量に残っていたりするが、

練習のためだけにそれを買うのももったいないし、シャープペンでは穴が開いてしまうので

買う人は少ないのだろう。うちわにもならないし。

 

 高校まで「九九表下敷き」使っている人が……10年くらいか?


生年月日


 ふとした時に、友人に誕生日を訊ねてしまう。訊ねた日と返ってきた誕生日が近くないか、

誕生日が他の記念日と一致しない場合は、すぐに忘れてしまい、後にまた訊ねたりしてしまう。

 小学生の頃は誕生日会が流行っていて、ある時の姉の誕生日会では十人くらいの友達が

祝いに訪れた。だが著者は誕生日会を開いたことがない。まあ女子の場合が多く男子はあまり

しないことだったが、それでも参加としては進んで行った。だが何件かは、客が著者一人で、

他は誰もいなかったということもあった。著者の方が変わっていたのであろうか。会を開いても、

誰もこなかったらどうしよう、と思っていたから、自分は会を行わなかったのだろう。

 家族の中では、生まれた年の干支で性格を決めつけられることがある。著者の場合は酉年で、

鶏が餌をついばむ動作からせわしなく動き回って、散らかしまわすと言われるが、それならば

同じ年に生まれた人たちも同じ性格であるというのか。それに干支は世界共通ではない。

そう言われるから、そうなってしまうのだ。

 2月29日生まれの人は珍しいと言われるが、1461人に1人はいる計算である。

平年の誕生日は無いが、2月28日から3月1日に移るときに年を1つ取るのだろう。

どちらにしろ、閏日生まれの人は一番誕生日が覚えやすい。

 

 でもその日生まれの人に会ったことがない……


一秒


 時計を見た時、初めの1秒がやけに長く感じることはないだろうか。そして次の一秒からは

いつもの長さになるのである。あの一秒は何だったのかと考えてしまう。ふっと見た時に丁度

その秒になったとしても、次動くまではやはり1秒だ。それでも何度も時計を見たりそらしたり

してしまう。同じ事が起こることはほとんど無いのだが。

 1秒がどのくらいの長さであるか知っているだろうか。何を言っているんだ、1秒は1秒じゃ

ないか、と言う人もいるだろうが、その1秒の長さはどうやって決められたものだろう。

1955年では、1年の31,556,925.97474分の1を1秒としていたが、後に133Cs原子が出す

放射の9,192,631,770周期を1秒とした(細かい説明は著者にもわからないので割愛)。

この考えは、もっと昔に1秒の長さを定義し、それと等しい長さで説明しているのである。

以前の1秒の定義はわからないが、例えば1秒間に光は30万km進むが、逆に光が地球を

7周半の長さ進む間の時間を1秒にしていたかもしれない。だが現在のメートル法では、

光が1/(299792458)秒の間に進む距離を1メートルと定めている。今や長さも時間によって

表されているのだ。人生80年の長さも、秒に換算すれば2,524,608,000秒。上記の膨大な

数の羅列を見れば、この時間は長いのか短いのかわからなくなってしまう。

 

 kgの定義って10cm立方の容器入った純水(1リットル)の質量かと思ったら、

現在はあるおもりの重さを1kgと決めているらしい。それこそ短絡的だなぁ


因果関係


 「風が吹けば桶屋が儲かる」という言葉を聞いたことがある人もいるだろう。これは

ある出来事が起こったことで、連想ゲームのように次々といろいろなことが起こり、

最終的には、初めに起こったこととは全く関係ないことが起こってしまう、という意味も

ご存知だろう。(こういうことを言っていると必ず、連想「ゲーム」と言ってしまうのは、

やはり過去にあった同名のテレビ番組の影響であろうか)

 しかし、風が吹く→桶屋が儲かる、という経緯について知っている人は少ないと思う。

著者も最近知るまでは、風が吹いて桶が飛んでいってしまうから、代わりの桶を買う人が

増えるために桶屋が儲かるものと思っていた。しかしそれでは直すぎる。

 「風が吹けば、ほこりが立ち、盲人が増え、三味線が売れ、猫が捕らえられ、鼠が増え、

桶がかじられる」。したがって、風が吹けば桶屋が儲かるのだということだ。現代の考えでは

思いもつかない連想だろう。ほこりが立っただけで目が見えなくなる人は多かったのだろうか。

目が見えなかったら三味線をひくことしか出来ないのだろうか。三味線を作るのに猫の皮が

使われるらしい。猫は風が吹いたら急いで逃げなくてはならない。

 桶屋が儲かる前に、三味線屋も儲かっている。

 

 斜体の部分は、TARABAさんとジャージさんの情報により修正させて頂きました。


声優


 全く知らないアニメでも、好きな声優が主役だったりするとアニメも好きになったりする。

逆に好きな漫画がアニメになっても、声優がイメージと会っていなければがっかりして

観るのがためらわれる。それでも観続ければ慣れてくるのだが。

 全く知らない声を聞くと、声優を知りたくなってエンディングのキャストを見ようと思うが、

その頃には声優のことをすっかり忘れているか、名前を見ても知らない名前なのでやはり

すぐに忘れる。

 当然のことだが今までの声優から、別の人にいきなり代わったときは違和感を感じるだろうが、

以前より良くなった、という話は聞かない。ほとんどが変な声、と言われるのだろうが、

これも慣れのせいだろう。しかし新シリーズ時に主人公が有名声優から素人同然に変わったのは

失望した。題名は言わないが。

 アニメでなくとも、外国映画の吹き込みも声優の仕事である。二つの映画で出演している

外国人俳優に対し、それぞれで声優が違うのはおかしいが、その辺は、この俳優にはこの声優、

と言うのでもあるのだろうか。今後デジタル処理で、吹き替えも俳優本人の声で再現されるように

なるそうだが、声優の仕事は当然減るのだろう。

 

 声優はラジオ番組を持ちすぎ(いいじゃん……)


笑い


 「笑う門には福来る」と言うが、笑ってはいけないときもある。著者の場合は、

祖父の法事のときだ。お坊さんがお経を読むのだが、「南無阿弥陀仏」の連呼がリズムが

入って聞こえるので思わず可笑しくなってしまう。そして正座で足がしびれているので

力が抜けて尚更だ。最近はお坊さんが変わったので読み方が違うので笑わないが、

誰かの葬式に出席した時にそういうお坊さんだったらと思ったら困る。

 TVを観ながら食事をするのは行儀が悪いと言われるが、楽しいTV番組を観ながらや、

楽しい会話をしながらの方が消化器官が有効に働き、栄養が十分に取れる。その分太りやすい

のだが、逆にいうと一人細々と食べればそれほど吸収されなくて太らないのではないだろうか。

 人を笑わせようとして、ギャグをいったりする人がいるが、そのギャグに素直に笑う人も

いれば、少し間をおいて吹き出す人もいる。どちらも笑ったことには変わらないが、

前者は「笑わせた」、後者は「笑われた」のである。この違いに気づいていない人が

いわゆる「寒いギャグ・親父ギャグ」を連呼するのだろう。

 天然ボケで笑われる人は、本人はどう思っているかは知らないが、笑わせようとして

必死にネタを考える人の立場は無い。

 

 「笑」という字にはなぜ竹が……


超能力(三)


 「剣と魔法のファンタジー」といえば、異形の姿をした魔物がつきものだが、物語が

始まった時から当然のように魔物がいる。その世界にもともと生息しているのならまだ

わかるが、「魔王」の出現により突然魔物が現れる、という話ならば、その魔物が現れた

話も描いてあるものはあまり見かけない(現代に、というのは結構あるようだが)

リニューアル3回目の"Super Ability"は、魔物が現れる所から描き始めた。

 といっても読み手側からは、突然現れたようにしか見えない。まあ徐々に現れるという

ものもないが。中世であるから一国の王様が頭を悩ませる。だが中世なのに科学者がいて

力を強くする薬を作るよう王様に頼まれる。どちらかと言えば薬剤師と言った方が良かったの

かもしれないが。そして完成するが魔物に気づかれ、薬と共に研究所を焼かれてしまう。

一命を取り留めるが、暫らくは薬を作れない体となる。

 その薬は火事によって気化し、遠くの地で湧き水に吸収され、偶然通りかかったきこりの

兄弟がそれを口にすることで力を得る。その2人がユーザー改めユマと、その兄サロンであった。

このあと魔物に襲われた時に、得た力を発揮するはずだったのだが、いつものごとく

ここで描くのをやめてしまっている。

 

 魔王を倒した瞬間に他の魔物が消えるという仕組みはどーなってんの?RPGとか


Back Home