牛乳


 著者は毎日、牛乳を飲んでいる。朝だけではなく、家で食事をとるときはほとんどだ。

なぜそんなに好きなのかはわからないが。だからといって極端に背が高いわけでもない。

運動はあまりしなかったからだろう。

 小学校の給食で、牛乳を残す子は不思議でならなかった。味が嫌いなのか、腸が弱いのか。

味噌汁(特にしじみの)と一緒に飲んだら腹をこわしやすいという著者の統計もあるが、

牛乳を飲みたくなくなることは無かった。

 給食の牛乳といえば、たまに「ミルメーク」という甘い味をつけるシロップがつくことがあり、

牛乳を飲まない子たちの分のミルメークを他の子と分け合って、2本以上いれて飲んでいた。

あるとき、著者は5,6本のミルメークを同時に入れた記憶がある。ちゃんと混ぜねば

ならないが、息を吹き込むと牛乳パック内部の圧力が増してストロー穴の隙間から吹き出す

恐れがあったし、行儀も悪いのでストローで地道にかき混ぜていた。当時の牛乳パックは

四角すいで、底の隅の方は混ざりにくい。で、混ざったものと思って飲んでいると、突然

ストローが真っ黒になって思わず戻してしまった。やはり入れすぎであった。それ以来、

ミルメークは自分に与えられた1本分しか入れなくなった。

 

 大人になっても飲んでたら、骨粗鬆症にはならんだろうな(笑)


欠片を集める


 ジグソーパズル(濁点位置注意)は、子供のころは楽しんでやっていたが、そのうち

飽きてしまって、今は店で見ても欲しいなど思わない。「なかなかそろわない」のが

パズルの難しさだから、それは認めるけれど、同じ色合いの絵のパズルは本当に嫌に

なってしまう。ゲームのジグソーパズルを買ったが、背景が宇宙で、見本と星の位置を

比べて探さなければならなかった。しかも1,000ピースもあった。

 このパズルは時間と労力だけでなく、金もかかる。パズル代ならまだしも、完成した後

それをはめる額も買わなければならない。もちろん完成すれば、の話だが。また、パズルの

一片が無くなれば完成しない。無い部分を写し取り、会社に送ればその部分をもらえるが、

それまでにその部分が見つかることもある。

 小学校の図工の時間、完成済みの真っ白のジグソーパズルを渡され、好きな絵を描いて

パズルが出来るようにしなさいと言われた。その課題が嬉しかったので、当時遊んでいた

ゲームのキャラを描いた。しかし出来はいまいちだった。同じ頃、姉が中学の夏休みの

美術の宿題で同じようなものがあり、今度こそは上手く(具体的には"Super Ability"の

キャラを)、と意気込んでいたが、その課題は二度と出ることは無かった……

 

 あれは一人でするもんじゃないが、大勢でも喧嘩になりそう……


宿題


 学生の大半が嫌いであろう宿題。難しいものはやりたくなくなるが、やらなかったら

後で面倒なことになるので一応やっておく。だが期限のあるものはギリギリまでやらない。

授業中に解答するものは、自分が解答を黒板に書いたりする問題以外は、曖昧にしたり

放っていたりしていたが。

 が、「夏休みの友」は、全部やる気は起こらなかった。小学校時代あれを6年間全部

書き込んだ児童などいないと思っている。普通の教科の問題ならいいのだが、「夏休みに

聴いた音楽(クラシック)を書きなさい」というのがあって、その問題のためにCDを買うのも

もったいないし、それ以前にCDプレーヤーを持っていなかったので、図書館で聞くという

手もあったのだが、結局聞いてもいない有名な曲を書いた。しかも作曲者が合っていなかった。

 「宿題を忘れた」というのは曖昧な表現である。「宿題があることを忘れた」のか「宿題を

やったが持ってくるのを忘れた」、「やろうと思ったが結局忘れた」「やってないが『忘れた』と

いうことにしただけ」かわからない。だがほとんどは最後なのだろう。どちらにしろ言い訳しても

それに見合った勉強をしなければいけないわけだが。忘れた生徒にさらに罰を与えるのは

逆にやる気を失う上、その日の宿題が更に出来なくなるので止めるべきだ。

 

 宿題忘れる→廊下に立たされる→授業がわからない→宿題わからない→宿題忘れる→……

悪循環ってこと気づかないのか、のび太の担任。


近眼


 以前にも書いたが、著者は視力が悪く、高校まで眼鏡を、大学からはコンタクトレンズを

入れている。視力は遺伝とか、成長とともに悪くなるとか言われているが、視力低下の

一番の原因はやはり、暗い所で近いものを長い時間見ることだ。

 著者は幼稚園児の頃からファミコンをやっていた。TVゲームを長いことやっていると

目が悪くなるといわれるが、著者は結構やる方だったが、距離を置いていたからか

小学生時代は悪くはならなかった。

 一番の原因は、中学一年に買ったゲームボーイだろう。結局ゲームだったが。それで

視力が悪くなった人は多いに違いない。あれは携帯用とはいえCMみたく屋外ですることは

少ないと思うのだが、小さな子供が持っていたりすることがある。きっとポケモンだろう。

友達と遊ぶのはいいが、小さい頃から視力が悪い子供が増えるのはよくないことだ。眼鏡屋は

儲けるだろうが。

 著者は中学と高校の時眼鏡をかけていたのだが、「眼鏡の人」と呼ばれたのは記憶上

1回しかない。他に眼鏡をかけている人が多くなったからか、それとも著者がそれほど

必要とされていなかっただけか……

 

 眼鏡っ娘はあまり好きじゃない(爆)


例外


 例外を見つけるとなぜか嬉しくなる。身近なものでは「0で割ることはできない」と

いうのも、0に限ることなので例外と言える。ビートマニアではsuper highwayだけ

ジャンルが小文字とか、HELL SCAPERがNORMALで2倍速とか。以前書いた「閏年」で、

今年2000年は「例外中の例外」であり、それだけに著者も嬉しげに書いているのだ。

あまりにも完璧なものは好まれないようで、一点だけでも違った所があると、「おや」と

思いいつまでも残るものだ。ただ、完璧が求められているものはそれにあらず、欠陥である。

 例外があって嫌になるのは外国語。英語の場合はいろいろな読み方があるので例外も何も

ないが、著者が習っているドイツ語は大体読み方が決まっている。それぞれの単語は英語の

それに近いものもあるが、実際に外来語も含まれている。その時は読み方が変わるので

その都度覚えるだけのようだが、前記と矛盾するようだが例外なだけに忘れやすい。

 「例外のない法則はない」と言うが、ある友人は「その法則にも例外はある」と言う。

結局前者の記述が矛盾していることであるが、例外があるものは法則とは言えないのでは

無いだろうか、物理講師曰く、「99.99%でも駄目。100%当てはまらないと

法則にはならない」。確かに「法則に例外が無い法則」ならばそれ自身も矛盾しないが、

何か寂しい気もする。


配置


 最近のビートマニアの配置は異様なものが多い。確かに上級プレイヤーには

それでも簡単だろうと思うのだが、どうやってもクリアできないという人は

嫌になってしまうかもしれない。

 難曲が増えてよくよく譜面を見ないが、見た目が綺麗な譜面というものは

どのようなものだろう。Schlagwerk(A)の中盤のような対称的なものや、OVERDOSER

(driving dub mix)のような真っ白なもの、あるいはElectro Tunedの文字になるものなど、

音楽や難易度だけを考えたのではない曲もあって見るだけでも楽しい。たくさん詰め込んだり、

たたきやすいからとバラバラな配置をするのはよくよく見れば見づらい。

 それでも与えられた譜面でクリアは試みる。条件は皆同じなんだから、クリア

できないものは無いはず。早いか遅いかである。それで背伸びしようと、階段オブジェが

多い曲でランダムをかけようとする。だがそれでクリアしても、なぜか「出来た」とは

思えない。音階がある曲は右が高い音など、製作者も考えて作っている譜面もある。

その元の譜面でクリアしてこそ本当のクリアだと思うのだが。まあクリアした曲は

ランダムも挑戦するのがよいが。

 

 ここのbmsはムリヤリ詰め込んで見づらいのなんの……


独り言


 この「徒然笹」は、あるサイトの「独り言」のコーナーをまねて作ったものとは

気づいている人いるだろう。友人も独り言のコーナーを作ったので、著者もその名前で

作ってもよかったのだが、考え直して名前を変えた。なぜか。

 1つの理由として、著者が「本当の独り言」を言う癖があり、そのことを知っている人

(家族など)が見たら笑われると思ったからだ。漫画を読んでいて「ここはこうしたほうが」

とか「よくある話だ」とか言ったりする。またHPでの自分のキャラとの掛け合いも

独り言の一種だろう。「二人言」かもしれないが。

 独り言は自分だけに言うものであり、他人に聞かれるのは恥ずかしい。だがこのコーナーは

他人に読んでもらうために書いている。だから「独り言」というタイトルはふさわしくないと

思ったから、というのがもう1つの理由である。もっとも、その日あったことを書く

日記のようなものは「独り言」でもいいかもしれないが。

 そういう理由で別のタイトルを考えたのだが、この「つれづれ」なるままにかかれた

日記のようなものは他サイトでも紹介文で書いてあるし、この内容もある「独り言」と

似たような内容になることも。

 

 2000年閏年とか体育の日の天気とか……もっと奇抜なネタを(汗)


超能力(五)


 これまで新しいノートに描いていた"Super Ability"だったが、画力を高めるため

A4の画用紙に水性ペンで書くという新たな試み。本当はトーンを張るくらい本気で

描いていたつもりだが、今見れば金かけて描くほどでもないという出来。近所に

トーンが売っていなくてよかった。

 各話のタイトルは今まで初めのページの上部にさりげなく書いていただけだったが、

この回の第一話はなんと見開き2ページを描いている。しかも怪物が大勢現れるという

もので、下手な上にアップ。本当に見せられるものではない。

 ノートに描いていた時でさえ詰め詰めで描いていたのに、ページが大きくなると

大きく描いたつもりでも割合からすればやはり小さい。人物の表情がわかりにくいのに

吹き出しは文字の数によるから、場合によっては1マスが真っ黒に。大きいページに

描いた意味が無い。それでだろうか、やはり途中で描くのを止めてしまった。いや、

それはいつものことだが。

 これらの原稿は、その紙のサイズが入るフォルダも買ってそれに入れている。

描きつづけいれば、本当に小遣いが危なかっただろう。

 

 同じ話を何度も描くよなぁ、そしてその後も……(ぉ


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