一枚帳面


 中学までは、教科ごとのノートを作っていたのだが、学年が変わるごとに

新しいノートを作る。今までのノートで余白が一杯あるともったいないので、

残りはちぎってメモ帳に使うくらいしかない。それで、高校からはルーズリーフを

使うことにした。

 ルーズリーフがあれば、ノートをたくさん持たなくてよく、さらにノートが

終わってやむを得ず別のノートに書くことに、なんてこともない。机の中で

教科別のノートを探さなくて済む。

 しかし悪い点もある。バインダーの中で仕切りが無いと、順番がでたらめになる。

また、常に整理しないとすぐにバインダーが一杯になって、リーフを入れるつもりが

あふれ出て余計にしまわなければいけなくなる。そして一番の難点は、まだ使って

いないリーフの束を、よく忘れてしまうことだ。著者もこの前80枚以上残っていた

束を忘れ、また買いなおすという羽目になってしまった。束には名前を書かない上、

誰でもが使えるので、見つけた人はこっそり自分の物にしているのだろう。それでも

なくしたほうが悪い。管理は十分気を配らなければならない。

 

 「ルーズリーフ貸して」……絶対に返さない……(類:シャーペンの芯)


納豆


 関西人は納豆嫌いというイメージがある。これもおかしな話で、関東と関西では

味覚や嗅覚がそんなに違うのか。薄味と濃味の違いも見られるが。では著者の住む

徳島は関西に入るのか。それでも著者はどちらかと言えば納豆は好きな方で、卵を

混ぜてご飯の上にかけて食べる。独特の臭いはあるが、それほど嫌なにおいでもない。

いろんな企業の納豆でもだ。本当は小粒の方が好きなのだが。

 納豆の由来について、山賊に献上するための大豆を藁に入れていたが、渡すのが

遅くなってしまい、開けてみると糸を引いていたが、これはこれで美味しく食べられた。

それで「納める豆」だから「納豆」というのだと聞いたのだが、別に調べてみると

動物性タンパク質を食べられなかった僧が、タンパク質の豊富な大豆を美味しく消化よく

食べられるようにと研究したものであり、僧房の「納所(なっしょ)」で作られたので

納豆というらしい。前者の由来は何だったのであろう。

 納豆の臭いは、きつくない方がいいものらしい。とすると関東の方がよい納豆を

作っているということだろうか。また糸をよく引くのもよいものらしいが、あまり引き

すぎると蜘蛛の糸みたいで返って嫌われるのではないか。

 

 でもさすがに食べた後はよく歯を磨いた方がいいね(笑)


懐炉


 使い捨てカイロが売れる時期になったが、あれを学校に持っていっていいものか

よくわからなかった。先生曰く、「見つからなかったら持ってきていい」。

それなら「気づかなければ万引きしていい」というのと同じではないか。それよりも

見つかったら取り上げるのか。そして今度は先生があったかい思いをするのか。

結局持ってきてもいい雰囲気であった。

 使い捨てカイロでキャッチボールをする輩も出てくるが、あれはお手玉するだけで

どんどん空気が入ってき、内側から密封した所がはがれ、最後には中身が飛び出す。

投げている途中に鉄粉がそこらじゅうに散らばることに。迷惑である。

 「使い捨て」と言えど、鉄粉は燃えないのでそこらに安易に捨ててはいけないと思うが

袋は燃えるので、ごみとして分離すべきだろうが、しかし鉄粉はどうすべきだろう。

そう思いつつも、やはりごみ箱にポイなのだが。

 土曜日などはいくらカイロの効果が長くても余ってしまう。それでポケットの中で

放っておくと、月曜日に見つけた時には固まってしまっている。それでもそれをほぐすと

少しはあたたかくなるのだが、さすがにけちくさいのでまたごみ箱へ。

 

 去年のカイロまだ使えるかなぁ……てこれもけちクサっ


電池


 あれほど予備の電池を買っても、必要な時にない場合が多いのは気のせいだろうか。

もしくは新品と使い切ったものが混ざってしまって、初めに試したものでは動かない

事が多い。それで分けていたらどんどん溜まり、いつのまにか電池の先から成分が

塩となって出てきて焦る。久しぶりに使おうと思った充電式電池に多い。

 充電式と言えば、普通のマンガンやアルカリ電池でも、充電できるような機械が

あるらしい。充電池は高いので、とても役に立つと思うのだが、それほど出回って

ないのは何故だろうか。

 当然のことだが電池はなめたり飲み込んではいけない。小学生の頃、普通の電池を

なめてもなんてことなかったので、気になっていた四角い電池(端子が同方向にあるもの)の

−端子(電子が流れてくる方)をなめて、あれは電気にしびれたのだろうか、ものすごく

苦い味を感じてビックリした。確かアルカリで3Vだったと思う。まねをしないように。

 店で売っている電池は、偶数個が束になっていることが多い。それで奇数個必要な時は

なぜかもったいない気がしてしまう。次に1個足りないという状況に陥ると思うからだ。

しかし丁度使い切っても、やはり予備を用意すべきなので同じだ。

 

 しばらく使わないと回復するのは、あれなんででしょうね?


誤差


 テストが返ってきた時、正解と見比べてみると、合っているはずなのにはねられて

いることが時々ある。先生も人間なので間違う時もあるだろう。すぐさま指摘して

点数を直してもらう。一見得したかに思えるが、元々正解だったのだから当然のことで、

気づかなかったことを考えればむしろ損である。点数が増えたかのような錯覚があるだけだ。

 それに比べ、間違っているのに丸をもらっているのは完全に得である。まあ、間違いを

直そうとせずに次に同じ問題が解けないということもあるだろうが。先生も「間違って

丸にしたものは言わなくていい」とは言ったが、小学生の時は著者も余裕があったので、

そういう間違いに自ら減らしに行っていたが、その後は友達と、漢字の跳ねがあるなしで

先生にお互いの減点を主張しあい、足の引っ張りあいだったが。

 大学のコンピュータの試験で、予想点を当てればボーナス点がもらえるというのがあり、

友人はその予想より1点だけ多かった。そこで著者が「どこか間違い探して1点だけ

引いてもらったら?」と冗談で言ったが、彼は本気にし、ここの漢字は間違っているとか、

単語の綴りが抜けているとか些細なことを探していた。そして本当に1点引いてもらい、

結果4点増えることとなる。

 

 面白いが変なシステムだなぁ。1点多かったら合計で少ないとかは変だろう。

あと「この間違いじゃ2点引かれるんじゃ?」とか言ってたなあ(笑)


点灯


 夜中には自動車・自転車はライトをつけて走らねばならない。自動車のは明るいが、

自転車のはせいぜい地面ぐらいで、前方は暗いままである。それでも遠くから自分の

存在を自動車などに知らせるので、やはりつけるべきである。

 自動車のライトは遠くからの方がまぶしい。はっきり言って前方がほとんど見えなくなる。

近づくと(こちらの存在に気づくと)光度を下げてくれるようだが、雨の日に眼鏡をかけて

自転車で走っている時だと非常に危険である。高校時代になんども感じた。

 それから最近、歩行者も蛍光板を身につけて歩くように勧められている。確かに暗い服だと

自転車の明かりくらいではすぐ前でも気づかないことがあり、何度もぶつかりそうになったり。

だからといって蛍光板を身につけた集団が歩いているのは不気味だ。懐中電灯も持つべきだ。

 学校で自転車点検があり、ライトのスイッチをいれて数メートル走らされる。だが暗くなると

自動的に電気がつくようになるタイプは明かりがつかないし、最近はそのタイプが多いので、

「(暗くなったら)勝手に点くヤツ?」「はい」という会話が続くことに。

 そのタイプのを姉が先に買ってもらって自慢したので、負けじと「自分のは暗くならなくても

電気が点けられる」と言い返したのは懐かしい思い出である。

 

 朝、旧タイプのライトの自転車に乗るとライト降りてて「ブーン」とかいうと虚しい……


円周率


 3.14。円周率と言えばこの3桁が浮かぶ。実際は無限小数で、小学校の

教科書でも30桁くらい書いていて、それを覚えるのに躍起になっていた。

今覚えているのは3.141592653589793834くらいか。間違っているかもしれないが。

 現在はコンピュータで何億桁でも求められるが、昔は地道に計算して、われ先に

一番になってやろうとしていた数学者たちがいたらしい。生涯自分で求めた円周率も

自分の墓に刻んだ者もいたらしいが、途中から計算が間違っていたことが見つかった。

これこそ死に恥というものか。まあ常人では途中までも出せないだろうが。

 学校では3.14を覚えていればいいが、それでも誤差はある。高校になると

円周率はπ(パイ)と置き、他の文字と同じように計算できるため、3桁の掛け算など

面倒なことがなくなったが、小学生は3.14と教えられ、計算力を身につける。

また3.14を使っていると掛け算の答えが大体覚えてくるので、他の計算式にも

応用できる力も身につくはずである。

 ところがその円周率も、「3」で学ぶようになるらしい。あまりにも簡単すぎると言うか、

虚しいと言うか。途中の計算でわからなくなるのが必至だ。

 

 物理で3.14とか使ってたら死ぬよ?(ぉ


作品(五)


 魔物を退治したユマたちはキミリ神殿に帰される。だが仲間たちはユマの豹変を

疑問に思っていた。元々キレやすい性格だったのか、それともやはり薬のせいなのか。

真相を知るべく、そして今度こそ魔王を倒すためにレーロスへ渡る。そこは魔物に

破壊され尽くされていた。そこで出会った絶望に打ちひしがれたウァイルー。

魔物の群れに囲まれた時イエナは、ウァイルーや街人たちを救うため、あの危険な

魔法を唱える。だが魔物を全滅するまでには至らず、さらにイエナは命を落としてしまう。

彼の思いを背負い、ユマたちは魔王征伐の意思をさらに固めた……のだが、ここで薬に

ついてかかれていない、ページの都合か、思いつかなかったか、少し抜けていたのか。

 砂漠を渡り、魔王の城へ。魔王の玉座に待ち受けていたのは、魔族の血によって

操られているアデンだった。リメイラは身を呈して彼を救い出すが、その「身」は

ウナイザのものなので、あとで怒られることに。

 その後現れた魔王にユマは善戦するが、竜に変身されては歯が立たない。リメイラは

自らの魂が滅ぶのを覚悟で究極魔法を放つが、それも死には至らず。あきらめたその時、

サロンの精神体がユマを守る。自分の必殺剣「ライトソード」をユマに託し、魔王が

滅びる所を見届け、自分もリメイラと共にこの世から完全に姿を消す。

 

 よくこんだけ考えたなぁ自分(ぉ まだ続くけど


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