夢の記憶


 夢の中の記憶は、起きてからは時間が経つごとにどんどん薄れていく。印象に残る

面白い夢でないと覚えていないが、覚えていると他人に話したくなる。

 今日見た夢は、ありえそうな夢であったが、昔見たはずの夢の続きのような

状況だった。起きてみて考えると、昔の夢は忘れているはずなのに、記憶の片隅に

残っていたのであろうか。もしかしたらその日に見た夢かもしれないし、本当は

見ていないのにその時に作られた記憶かもしれない。

 夢の中で問題が解けることもあるらしい。ベンゼンの六角形の構造は、ある化学者が

夢の中でヘビがお互いの尻尾をくわえてぐるぐる回っているのを見て、思いついたらしい。

だからと言って寝てばかりでは出てこないことが多いのだが。むしろ寝る前に考えたことは

起きてから忘れることが多いような気がする。

 夢の全て覚えていたらどうなるだろうか。見た夢を話していて、途中でどうしても

思い出せなくなるとそう思うが、夢と現実が曖昧になってしまうのではないか。

忘れてしまうからこそ、ありえないことを見ても起きれば平然としていられるのである。

そのために夢は忘れるような仕組みになっているのかもしれない。

 

 第一段をホウフツさせますな(笑)


新世紀


 数年前から、もうすぐ新世紀だと言っていたものが、いよいよ目の前に迫って

きている(これを読んでいる時点ですでに21世紀である人が多いだろうが)。

きっと新世紀になると、次の新世紀(22世紀)のことは、初めだけ予想して、

それからは当然言われなくなる。CMなどで「新世紀は〜」などと言っているものは

全て変えねばならないだろう。当然もうその用意もされているだろうが。TV放映が

日本で始まって初めての新世紀。どんないろんなことが起こるのだろうか。

今20世紀を何度も振り返っているだろうが、21世紀のことについてはそれほど

でもない。21世紀に入ると逆になるだろう。

 新世紀は2000年からと思っていた人は多いだろうか。この年は2000年問題

ばかり言われていたのでそれほど少ないと思うが、ドイツ語教師によると、出会った

ドイツ人のほとんどは2000年からだと思っていたらしい。それならば1世紀は

西暦0年からになってしまう、と説明したらしいが。福沢諭吉でさえ1900年から

20世紀と思っていたくらいだから誰でも間違うことかもしれないが。そもそも

世紀を定めたのも人間だから間違いも何もないはずなのだが。

 

 日本人なら「皇紀2661年」(笑)


勇気


 昔、道徳の時間に「勇気とは何か」というのを学んだが、今もよくわかっていない。

辞書には「ものを恐れない強い心」と書いているが、どんなものでもそうならただの

向こう見ずである。いくらか可能性があるからこそそれが成功すれば「勇気がある」と

言われるが、失敗すれば「無鉄砲な奴だ」と笑われる。かといって成功率が高ければ

多くの人が出来るので、特別に勇気があるというものでもなく、そもそも確率とか

計算に入れるようなものではないはずだ。

 RPGゲームによくいる「勇者」。頭に「伝説の」が付くことが多く、勇気がある人、

というよりは、皆の願いを叶えてくれるはずの人物、もしくはそれをやり遂げた人だ。

一般的な「勇気のある人」という意味はほとんどない。確かにそれをするためには

勇気は必要だろうが、失敗しても何度もやり直せるゲームでは、勇気も何もない。

 しかし一般的なことで考えれば、今、普通なら出来るようなことが出来なくなっている。

電車でお年寄りに席を譲るとか、落ちているごみを拾ってくずかごに捨てるとか。

はた目を気にせずに、社会にとって良いことを堂々と出来る人物が、勇気がある人と言え、

現代の勇者なのではないだろうか。

 

 「勇気について」1枚の紙に何か書け、という入社試験があったとき、ある人は

白紙で出して己の勇気を示し、それで合格したらしい。恐


最終回


 アニメやドラマの最終回の特番もあるほど、この最終回というものは人を

引きつけるように作るものらしい。当然にも聞こえるが、端的に言えばただの

一話にすぎない。「最終回スペシャル」と銘打って時間延長する場合もあるが。

 著者がハッピーエンド好きからか、最後に主人公やその親しい人物が死んで

終わり、というのは好きではない。例え無理な展開でも、笑って終われるような

物語の方が感じがいいのではないだろうか。もちろんデッドエンドでも感動させられる

作品も数多く存在するが。

 好きな漫画が中途半端な(だと思う)ところで最終回を迎えた時、実は嘘で第二部とか

あるんじゃないかとか、それが作者の狙いだとか思ったりするが、それは思い込みで終わる。

しかし終わらせるなら皆が納得のいく終わらせ方でなければならない。作者もそれを

したいのだろうが、雑誌から打ち切りを宣告され泣く泣く、という場合もあるだろうが。

 かく言う著者は、自分の漫画において最終回を考えない。あるストーリーが終わっても

キャラの活躍は続くはずだからだ。そしてそれに関連する話を繋げていくうちに、

描き終えるには途方もない一本の巨大シナリオが出来上がってしまった。

 

 現代源氏物語とでも言いましょうか(謎


後書き


 「徒然草」は、序段と243段で構成されている。ということでこの「徒然笹」も

それにあやかり、第二百四十三段で終わりにしようと思う。

 だが徒然草は、編集されてその段数になったらしい。つまり本当はもっと書かれて

いたということだ。流石に今の数をもう一度書き、その中から厳選する、というのは

時間も余力も余裕がないが、ふとしたときに皆に言いたいことは出てくるだろう。

 そこで徒然笹の中に、どうしても話の種がなく、つまらないものを書いている段を、

新しく書いたものと差し替えようと思う。著者が昔描いた漫画の紹介もそれに含まれる。

今度は不定期更新ながら、時間があるので十分に楽しめる話が書けるのではと思っている。

もちろん他の段での文の追加などもするつもりだ。

 これからも徒然笹をよろしく頼みたい。

平成十三年 元旦

 

 とか言ってほとんど更新しなかったり(ぉぉ


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